みすず書房

新刊紹介

序言「日本の読者へ」 ウェブ公開

2022年1月26日

知りたいことがあるとスマホで検索する習慣が定着してしまった。それではまったく立ちゆかない世界があるということさえ忘れてしまいがちになる。それがどれほど豊かで魅惑的で面白い世界であるか、危機感があれば、この論考集のどの章でも開いてほしい。

たとえばカバー写真の、ナポリにあるサン・ジョルジョ・マッジョーレ食堂に飾られる巨大なヴェロネーゼ《カナの婚礼》(第2章)。これはナポレオンによって戦利品としてこの聖堂からパリに運ばれルーヴル美術館に展示されている絵画の、テクノロジーの粋を尽くしたファクシミリなのだ。こうなると、オリジナルとは何を意味するのか?
あるいはカリフォルニア大学ロスアンジェルス校(UCLA)リサーチ・ライブラリーの最先端検索システム「オライオン」を、ギンズブルグ教授が16世紀のある宗教的テクストに関して使ってみた! その省察(第6章)。

以下は、ギンズブルグ教授の序言「日本の読者へ」による本書の紹介である。

カルロ・ギンズブルグ

わたしたちは現在に侵略されている。インターネットは空間的な距離だけでなく、時間的な距離をも撤廃しつつあるという印象を与える。コンピューターのスクリーンは、イメージやテクストのもつ物質性をはじめとして、過去の厚みを空無化してしまう。こうして、歴史的記憶はますます脆弱なものになりつつある。

こういったことはすべて明々白々な事実である。そして、このグローバルな現象が、過去を伝達する手立てを練りあげているもろもろの文化に従来とは大きく異なる仕方で作用しているということも、明々白々な事実である。最初に日本をおとずれて各地を旅していたあいだ(これはその後の旅と同様、忘れがたい旅だった)、ある寺院のほんのわずかな一部が傷んでいるようにみえただけですぐさま取り替えられているのを見たときに味わった驚きのことは、いまでも憶えている。イタリアの記念碑にたいしても、何世紀にもわたる時の流れのなかで似たような態度がとられてきたことが思い浮かんだ。それでも、双方のあいだに文化的な相違が存在することは否定できないように思われた。

さまざまな文化は類似する欲求や衝動に相異なる仕方で反応している。人類学と歴史学の対話はここから出発する。この対話の基礎をきずいたのは、ヨーロッパ思想の世界では、ナポリの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコだった。人間は歴史を作っているのだからそれを知ることができる。異なる時代と社会にまでさかのぼる記録資料は解読し解釈し翻訳することができるし、しなければならない。そしてヴィーコの思想も、偉大なフランスの歴史家ジュール・ミシュレの手本にならって、世界中で翻訳され普及してきたのだった。


なぜヴィーコについて語るのか。それはたしかに個人的な理由からである。傑出したヴィーコ研究者で『新しい学』を日本語に翻訳した上村忠男によって本書が翻訳されるというのは、めったに得られない特権であり、いくら感謝しても感謝しきれないものがあるのだ(わたしは残念ながら日本語を読めないが、そのわたしから見ても、『新しい学』を日本語に翻訳しようという上村のくわだては、並外れたくわだてというほかない)。しかし、ヴィーコに注意を喚起することは、取り組んだテーマがじつに多彩であるにもかかわらず、ここにそれらを集成してひとつの論集をつくりあげることを可能にしてきたものを描写するためにも必要であるように思われる。『新しい学』で提起されている広範な意味における文献学(filologia)の理念がそれである。それはもろもろのテクストとイメージを分析する文献学であり、互いに大きく異なる文明によって生み出されたさまざまな記録資料を解読しようとする文献学であり、恥のきずなのように(本書第7章)、すでに解決済みとされているものにたいして距離をとる文献学である。これと似た展望のなかで、音声の転写のもつ政治的意味合いを調査する民族文献学(第5章)も、セルゲイ・シロコゴロフ、マルセル・モース、エルネスト・デ・マルティーノといった偉大な人類学者たちの仕事にかんする省察(第1、11、12章)も動いている。しかしまた、非正規的な事例に立脚したテクストとイメージの関係の検証も、広い意味での文献学に訴えている。フランシス・ゴールトンの人種主義的優生学から着想を得た重ね焼き写真の実験と写本の系統樹との比較対照(第4章)、新しい技術によって生み出された絵画のファクシミリ(第2章)、偉大な美術史家ロベルト・ロンギによって提唱された、図像を言葉に翻訳することによって可能となる匿名のデッサンの作者の同定(第3章)がそれである。


本書の内容をすばやく提示するにあたって、わたしはヴィーコの思想から出発した。しかし、ヴィーコはとりわけ、ここでわたしが通例とは異なる角度から探求しているヒッポのアウグスティヌスによる聖書読解をすでに練りあげてもいたのだった。旧約聖書で記述されている人々の慣習とアウグスティヌス自身が生きていた世界の慣習とのあいだにはズレがあるという知覚がそれである(第8章)。そして、その知覚のうちに、アウシュヴィッツでの体験にかんするプリモ・レーヴィの省察によってこのうえなく高度のレヴェルで例証されている、わたしたちがそのなかに浸りきっている(あるいは浸りきってきた)現実にたいして距離をとることの歴史への決定的な寄与を見てとることが可能となるのである(第13章)。プリモ・レーヴィの諸著作の民族誌的次元がクロード・レヴィ=ストロースによって認められてきたというのは、意義深いことである。

アウグスティヌスによる聖書読解と無神論者だったプリモ・レーヴィの省察を同じ軌道のなかに織りこむというのは、ばかげているようにみえるかもしれない。しかし、宗教といわゆる世俗化──これは曖昧模糊としていて未完の現象であって、予想できなかったさまざまな結果をもたらしている──の関係には多くの顔がある。この論集にはそれらの二つの事例が見いだされるだろう。その二つの事例は、互いに遠く隔たっており、研究の度合いも異なっているが、両者ともに未解決のまま今日にいたっているのである(第9、10章)。

おそらく尋ねる人がいるのではないだろうか。「それにしても、これらの研究はどのようにして構築されてきたのか」と。この問いへの最初の答えは第6章のうちに見いだされる。偶然(意図して生み出されたものも含めて)と研究者が自己形成をとげていくなかで身に着けてきたもろもろの前提や先入見との関係は、わたしにとっては、尽きることのない省察のテーマなのである。しかし、重要なのはこの関係の結果である。それらについては読者が判断するだろう。