みすず書房

21世紀初頭の日本でフィールドワーク

アリソン・アレクシー『離婚の文化人類学――現代日本における〈親密な〉別れ方』濱野健訳

2022年4月12日

著者はアメリカの文化人類学者。この本は、2005年9月から翌6年9月にかけてのフィールドワークと、2009年から11年にかけての追加の調査にもとづいてまとめられている。
初めて日本を訪れたのは14歳の夏、観光でだったという。高校のときは独学で日本語を勉強していたという。十代の頃から今も日本の文房具が大好きなのだという。少し異例なくらい長めの「日本語版への序文」で、そんなことも、日本にいる読者に向かって率直に語られている。

それにしても、テーマは離婚研究。しかも、統計や法からでなく民族誌的にとなると、いったいどのように。

離婚とは極めて個人的で私的なことであり、スティグマを抱えるような経験を伴うため、当初、日本でも海外でも私の周囲の人の多くが、離婚についての人類学的研究など可能なのかと懐疑的だった。私がどこへ行こうともたいてい、私がしようとしている調査のあらゆる点に関心が向けられた。どこに行っても一番よく訊かれたのが「離婚した人とどうやって知り合うんですか?」であり、続いて「離婚のことなんか話してもらえるんですか?」であった。(序論、38頁)

調査の期間は東京に仮住まいして、「できるだけ普通の生活を送ろうと努めた」。

東京の西部にある住宅密集地で暮らしていたので、開け放した窓から隣のお風呂の音が聞こえるようなこともあった。多くの人と同じように一日の相当な時間を電車での移動に費やし、夜間に帰宅するともうへとへとになっていることもよくあり、その後はルームメイトとたわいもないテレビ番組を観るのだった。遠隔地の郊外へ定期的に足を運び、友人が最終電車を逃した時は部屋に泊めたりもした。友人と食事に出かけたり映画を観に行ったり、あるいは別の友人のお笑いのライブに誘われたりもした。ケータイに文章を打ち込む親指は痛み、ソーシャルメディアでのやりとりに多くの時間が費やされた。(40頁)

「離婚オタク」の「アリー」「アリーちゃん」「アリーさん」と呼ばれて、日常は離婚話であふれかえる。

ありがたいことに「離婚ガール」としての知名度を獲得したおかげで、周りからの離婚話はどんどん耳に入ってくるようになった。こうした離婚話のために私が試みた「普通」の生活は定期的に中断されることもあったが、まさしく自分が聞きたかった話がそこにあって、離婚話の方からすすんで私を探し出そうとしているのでは、という気分になった。(41頁)

大半はどんどん話の内容がずれていくことになる会話を記録するにあたり、そのほとんどは、「どうして結婚しようと思ったんですか」「なぜ離婚しようと思ったんですか」という、個人的な体験や現在の社会情勢の印象などを訊ねる私の質問から始めた。こうした会話を締めくくるに当たり、必ず私自身への質問をうながすことで、常に会話が一方通行にならないようにしていたが、私に対して質問される調査動機などについて答えるのはとても楽しいことだった。(43頁)

私は以下の三点に注意を払った。話を聞く相手が一方に偏らないようにすること、離婚について話したいという人にだけ話を聞くこと、(時にはずいぶんと遡ってもらい)当時のことを「思い起こしながら再現してもらう」ことである。こうした方法でもって二人の関係や離婚について語ってもらうことにより、これらの語りが主要な人物をどのようにして位置づけるのか、また、後になって知ったことをどのようにして理解するかといったことが語り手自身によって再構成されていくのだった。(44頁)

離婚という出来事がどのようにして他の生活の側面に収まっていくのかという点に注意を傾け、多くの人と話をし、ただそれだけではなくその人たちの人生に寄り添うことにも全力を尽くした。(45頁)

フィールドワークにおいて自分が何者かを位置づけるうえで以下の三つの属性が状況により入れ替わった。一つ目は、私が比較的若い白人のアメリカ人の女性だったこと。二つ目は、私の両親も離婚していたこと。三つ目は、時にはロマンティックな関係も含みつつ、親友たちとデートしたり映画を観にいったりしていたことである。自分では三つ目こそが最も自分らしさを表していると思っていたが、他の人から見れば最初の二つが明らかな私の特徴だと見なされていた。(46頁)

こうして、遠さと近さのあいだで、つまり異文化の〈調査者〉として著者は、出会う人々の離婚の語りをクリティカルに分析しながら、いっぽうで彼・彼女ら調査協力者になる人たちの〈友人〉として、全力でその人たちの人生に寄り添う。「調査を通して著者自身がつながった人たちとの継続的な関係性の中で、調査者と協力者あるいは友人、またあるいは別の立場といったふうに、それぞれのポジショナリティが刻一刻とその位置や向き合い方を変えていく」(訳者あとがき、358頁)。この絶妙のポジションが、本書のこれぞ現実と感じられる、本を閉じれば登場人物がたちまち動き出しそうな現代日本社会の描像を可能にしただろう。

この本ではもちろん――ジェンダー、家事労働、自己責任、雇用格差、民法改正、再婚「100日禁止」撤廃、戸籍、親権、面会交流、連れ去り、別居家族、拡大家族、養育費、シングルマザー、貧困……など現代の結婚・離婚・家族をめぐるさまざまな社会問題といわれるものが取り上げられている。
ただし、性急な糾弾などよりも前にまず、ありありと記述されるのだ。民族誌なのである。そして、異文化の眼差しを通すことによって、いままでと違った角度でわたしたちに見えてくるかもしれない。たとえば、「きれいさっぱり縁を切る」日本の離婚、「関わり合いなき相互依存の関係」から「つながっていながらも自立した関係」へという夫婦関係の理想の変化、法律にはよらないが「事実上の共同親権」、などというふうに著者は名づけて概念化していく。独創的な外からの眼を借りるようにして、視界を開きたい。