みすず書房

戦後イタリア、ネオレアリズモへの旅(「おわりに」より)

岡田温司『ネオレアリズモ――イタリアの戦後と映画』

2022年5月 9日

1954年生まれのわたしにとって、残念ながら、ネオレアリズモはリアルタイムの体験ではない。とはいえ、拙文をしたためつつ、そしてそのために主にDVDを何度もくりかえし鑑賞しつつ、そのたびにいつもわたしの脳裏をよぎっていたのは、学生のころからイタリア国鉄FSの時刻表を片手に長靴の半島を旅していたときの記憶や映像の数々だった。リュックひとつでこの国にはじめて足を踏み入れた20歳のときには、日本出国の前にまだマラリアの予防注射が義務づけられていた、そんな時代である。

が、当時のイタリアはローカル線もそれなりに充実していて、公共交通(鉄道とバス)をうまく乗り継げば、鳥の巣のように丘の上に張りついた辺境の小都にもたどり着くことができた。どうすればできるだけ安くて早くに目的地に到達できるか、心躍らせながら時刻表とにらめっこしていた若い日のことが懐かしく思い出される(とはいえ、この国の代名詞にもなってきた列車の遅れやストライキは昔も今も変わらぬ日常茶飯事で、予定通りにいかないのが常ではあるのだが)。

イタリアは、皆さんもよくご存じのように、古くから各地に都市国家が乱立していて(そのなかには教皇領もあった)、形式上の統一国家となるのは19世紀末のことに過ぎない。ネオレアリズモ誕生のたかだか半世紀前のことである。風土のみならず、言語や気質、文化や芸術等にまたがるこうしたイタリアの豊かなローカル性の伝統抜きには、おそらくネオレアリズモの映画はありえなかっただろう。このローカル性は、悪くいえばもちろん地域間の不均衡な格差にほかならないのだが、見方によってはまた同時にかけがえのない多様性のことでもある。本論でわたしは、ネオレアリズモの映画が描きだすこの多様な現実と人間模様をできるだけすくいとろうと試みた。

一方、ネオレアリズモのこのローカル性は、ひるがえっていみじくも反対のグローバル性にも転じうるものである。(英語でいう)「ネオリアリズム」とはまた「グローバル・シネマ」の別名でもあり(Ruberto and Wilson)、「グローバル・ネオリアリズム」と呼ばれることもある(Giovacchini and Sklar)。そのことを何より証言しているのは、近年にいたるまでとりわけ発展途上にあったアジアや中南米の映画の数々であるが(それを象徴するひとりが、イランの監督アッバス・キアロスタミであろう)、これらについて論じる資格は目下のわたしにはない。その任にもっとふさわしい専門家の方にゆだねるのが得策だろう。いずれにしても、ローカルだからこそグローバルにも通じるところがある、そこにもまたイタリアのネオレアリズモの特質をみてとることができるように思われる。その意味でネオレアリズモは、いわゆる「グローカル」の先駆けということができるかもしれない。

もとより小著は、映画史のなかで燦然と輝くネオレアリズモを網羅的かつ包括的に論じようとするものではない。それは分不相応なことだ。とはいえ少なくとも、当初の目的であった、戦後イタリアのこの特異な映画動向をより開かれた議論の場へと連れだすことはできたのではないかと思う。ことによると、重大な遺漏や誤解があるかもしれない。読者諸賢のご批判を仰ぎたい。

岡田温司
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なお転載に際し行のあきなどを加えています)