みすず書房

油井大三郎「解説」ウェブ公開

マデレーン・オルブライト『ファシズム――警告の書』白川・高取訳

2020年10月 5日

アメリカ史上はじめて国務長官を務めた女性政治家・学者であるマデレーン・オルブライト氏。かつてタイム誌の「アメリカでもっとも影響力のある25人」にも選ばれ、現在もご意見番としてメディア出演の多い氏が、みずからの亡命体験、外交トップとしての貴重な経験談などを踏まえ、トランプ大統領誕生と前後して世界各地に広がりつつある危険な兆候に警鐘を鳴らし、克服の道を探る。
「NYタイムズ」紙ベストセラー1位、「エコノミスト」誌の年間ベストブックなどに選ばれ、各国で翻訳されている世界的話題作がついに刊行。日米関係史が専門の油井大三郎氏による巻末解説を特別公開。

『ファシズム──警告の書』が問いかけるもの

解説

油井大三郎

現在、世界の各地で再びファシズム化の危険が高まっている。そう警告するのが本書の著者、マデレーン・オルブライトである。彼女は2期目のクリントン政権で、米国史上初めて就任した女性の国務長官であり、国務長官時代に、現代版「ファシスト」と疑われる旧ユーゴスラビアのミロシュビッチ、ロシアのプーチン、北朝鮮の金正日などと交渉した経験をもっており、その印象記も貴重な証言となっている。

二重の亡命者

彼女は、1937年5月15日にチェコスロバキアのプラハで生れた。両親は、ユダヤ系カトリックの家系で、彼女のチェコスロバキア時代の名前はマリー・ヤナ・マドレンカ・コルベルであった。しかし、1938年9月のミュンヘン協定後、ナチスがチェコスロバキアに侵攻し、ベネシュ大統領はロンドンに亡命政権を樹立、外交官であった父親もそれに従い、家族はイギリスに亡命した。また、彼女の3人の祖父母を始め、多くの親族がナチスの強制収容所に入れられ、殺害されたという。
第二次世界大戦後、チェコスロバキアに復帰したベネシュ政権とともに、父親もチェコスロバキアに帰国し、駐ユーゴスラビア大使に任命された。その折、スイスに留学したマリーは、名前を西欧風の「マデレーン」に改めたという。しかし、1947年6月に米国が提案した対欧経済復興計画であるマーシャル・プランにベネシュ政権が一時参加を表明したため、危機感を抱いたソ連の圧力を受けて、1948年2月にチェコスロバキア共産党が決起し、共産党単独政権を樹立すると、父親は米国への亡命を余儀なくされた。
つまり、幼少期の彼女は、ナチ独裁と共産党独裁の二重の独裁政権からの亡命を体験しているのであり、本書は、そうした体験者による「ファシズム再来」の警告であるだけに、重みがあるといえるだろう。米国に亡命した父親は、デンバー大学国際関係学部の教授となり、教え子には、後に国務長官となるコンドリーザ・ライスがいた。
マデレーンは、地元デンバーの高校を卒業後、奨学金を得て、マサチューセッツ州にあるウェルズリー大学に進学、政治学を専攻した。この学生時代の1957年に米国籍を取得、学内の民主党組織で活動するようになり、1959年に卒業した。卒業直後にジャーナリストのジョセフ・オルブライトと結婚。マデレーンは子育てをしながら、コロンビア大学の政治学大学院で修士、博士の学位を取得した。博士論文は1968年の「プラハの春」についてであった。

民主党系知識人としての系譜

大学院時代にマデレーンは、コロンビア大学で教えていた、ポーランド出身のズビグネフ・ブレジンスキーの授業をとったが、このブレジンスキーが民主党カーター大統領の安全保障担当補佐官に就任した関係で、マデレーンもスタッフとして採用された。
しかし、1980年の大統領選挙でカーターが共和党のレーガンに敗れると、マデレーンは、首都ワシントンにあるジョージタウン大学で東欧学を教えるとともに、民主党の外交顧問の役割を続けていった。1992年の大統領選挙で民主党のビル・クリントンが当選すると、1期目はマデレーンを国連大使に、2期目に国務長官に任命したのであった。その2000年の大統領選挙で共和党のブッシュ(子)政権が成立し、国務長官を退任してからも、民主党国際研究所(NDI)の所長などを務めているので、民主党系の外交ブレインを自負した人物といえるだろう。
つまり、マデレーン・オルブライトという人は、東欧からの亡命者、民主党系の政治家、東欧の専門研究者という3つの顔をもっているのである。ソ連崩壊後の東欧で民主化が進むかに見えながら、ハンガリーのオルバーン・ヴィクトル政権や、ポーランドのカチンスキ政権など、極めて権威主義的な政権が登場した原因を分析する上で、東欧専門家としてのオルブライトは適任者でもあった。

本書執筆の動機

彼女自身が本書の執筆を決断するきっかけは、「私たちの多くにとって当惑の年となった2016年」に発生した2つの事件にあったと、「ペーパーバック版まえがき」で述べている。つまり、英国のEU離脱(ブレグジット)とトランプ大統領の当選である。その結果、オルブライトは、「世界中の民主主義国が直面している試練や罠」について分析する必要性を痛感し、本書を出版したのであった。
つまり、オルブライトの問題関心からすれば、現在の世界各地で台頭している、極めて国家主義・民族主義的で権威主義的な政権が、戦前の「ファシズム」前夜の現象に類似しているとして、警鐘を鳴らしているのである。そこで、彼女はまず、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、スペインのフランコ政権、英国のファシスト同盟、米国の銀シャツ隊、ハンガリーの矢十字党、チェコスロバキアの祖国戦線など、戦前の様々なファシズム運動や国家の分析から検討を始めている。

オルブライトのファシズム論

ここで、オルブライトが紹介するファシズム現象は、ムッソリーニやヒトラーの影響を受けた国際的現象であるとともに、それぞれの国の歴史や文化に由来する一国的現象でもあった。しかし、ファシズムには共通した特徴もあり、オルブライトはそれを、「ファシストの態勢が定着するのは、社会的な拠り所が見つけられず、誰もが噓をつき、盗み、自分のことしか考えていないように思えてくるとき」(v頁)と説明している。つまり、ファシズム成立の前提には、民衆による既存の体制に対する深刻な不満や反発があり、その条件を利用してファシストは、反体制的なスローガンを掲げ、場合によっては、噓や暴力を行使して民衆の支持を取り付け、権力を掌握した後には反対党を一掃し、人種的マイノリティなどを虐殺するといった反民主的・反人道的行動にでるという特徴があった。

現代の「ファシスト」とは?

このような「ファシズム」の初期段階の特徴が、現在の世界で見られる権威主義的で、国家主義・民族主義的な政権の特徴と類似しているというのがオルブライトの警告である。
具体的には、ベネズエラのウゴ・チャベス政権とか、トルコのエルドアン政権、ロシアのプーチン政権などが例示されている。しかし、いずれも今のところ、選挙で政権を獲得しており、反対党派への弾圧や規制を強めているものの、民主主義を全面的に否定しているわけではない。それ故、オルブライトも、国家保安委員会(KGB)出身のプーチンのことを「小柄で青白く、爬虫類のように冷たい」印象と語りながら、「プーチンは完全なファシストではない。そうなる必要を感じていないからだ」と評価している(166頁)。つまり、選挙で多数を獲得できる間は、選挙制度を維持するのが、現代型ファシストの特徴とみている。
このようにオルブライトは、現在の世界にも独裁色を強めている政権が存在しているが、それらの政権は完全に選挙制を否定するまでには至っていないが、将来、ファシズムに転化する危険があるとみているのだろう。
このような「ファシズム前夜」の状況を「ポピュリズム」との関連で把握する傾向もあるが、オルブライトは、19世紀末の米国で農民層を基盤に展開した人民党を念頭に、ポピュリストを「民主主義の将来をめぐる壮大な議論の悪役」とみることに反対し(234-35頁)、「ファシスト」と「ポピュリスト」を区別するよう主張している点も興味深い。

北朝鮮の評価

オルブライトは、「北朝鮮のファシズムは金一族の家業として営まれている」(197頁)と述べて、北朝鮮の体制も「ファシズム」と把握している。しかし、共産主義の場合は、既成体制を革命で打倒して新政権を樹立するが、ファシズムの場合は、運動段階では「反体制」的なスローガンを掲げて民衆の支持を獲得しながら、権力を獲得した後は、既成勢力と妥協する傾向がある点で違いがある。その点はオルブライトも本書の中で認めているが、ファシズムと共産党独裁を「全体主義」として同一視する考え方は、冷戦期の米国に特徴的な傾向であり、オルブライトもその系譜を共有しているといえるだろう。
オルブライトは、クリントン大統領の北朝鮮訪問の可能性を探るべく、2000年10月末に北朝鮮を訪問し、金正日と会談した。当時の北朝鮮の核保有はわずかなもので、米朝が歩み寄る可能性はあったとオルブライトは見たが、11月の選挙で当選したブッシュ大統領がのちに北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」と規定したので、対話の芽は絶たれたという。

トランプ政権の危険性

トランプ大統領について、オルブライトは「現代アメリカ史上初の反民主主義的な」人物と評価している。それは、「民主主義の仕組みや平等と社会正義の理念、価値観や意見の異なる者同士の対話、市民道徳、アメリカそのものを、日々あまりにも頻繁に、朝早くから、これ見よがしに貶める」からだという(252頁)。
このような「反民主主義」的人物が大統領に当選すること自体に、現在のアメリカ民主主義の危機が示されているが、その背景には、「高等教育を受けておらず、経済的な状況に不満を持っている人々」がいるとオルブライトは指摘している(116頁)。
つまり、オルブライトは、グローバル化で職を失った旧製造業地域の白人労働者などがトランプを支持するというアメリカ社会の分断状況の危機を指摘し、この危機を克服するには、民主・共和「両党の責任ある指導者が国民のニーズを満たすため協力すると率直に公約し、総合的な行動計画を示す」べきと主張している(240頁)。
ここで彼女が強調しているのは、クリントン大統領がめざした「死活的に重要な中道(vital center)」の精神で分断を克服することである。しかし、現在のアメリカ社会では、民主党の左傾化、共和党の右傾化という形で分極化が進行しており、かつての「中道」精神の復活でこの溝を克服できるかどうか、簡単に答えがでないのも事実であろう。

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