みすず書房

みんな、みゆき画廊が大好きだった

牛尾京美『ベイリィさんのみゆき画廊――銀座をみつめた50年』

2016.03.25

ファッションやグルメなど流行の先端を行く銀座の街中に店舗を構える美術画廊は、70年代の高度成長や90年代のバブル経済などを背景に盛衰を繰り返してきた。その銀座も今では家電量販店や海外ブランド旗艦店がひしめき、落ち着いて美術作品を観る雰囲気ではなくなった、とはよく言われることだが、インターネットの普及や後継者不足も相俟って、老舗画廊が銀座から次々消えているのは確かだ。本書に描かれる「みゆき画廊」もまた創業50年を迎えながら、銀座の激変に対応しきれず終止符を打つことになった。本書はその半世紀の物語である。

美術雑誌の編集をしていたころ、先輩から「銀座に行ったらみゆき画廊には必ず寄ってこい」と言われた。所属団体や画商の庇護に依存せず、身銭を切って個展を開く画家の苦闘に立ち会わせてくれる良質な貸画廊は、カネ(広告)にはならないが確かな眼を養うには好適だ。そう自分なりに理解した。

本書でその生涯をたどった“ベイリィさん”こと加賀谷澄江氏(1927-2003)は、90年代末に業界に入った者にとって伝説の画廊オーナーだった(すでに引退同然だった)。その実像に迫りたいという思いを、現オーナーの牛尾京美さんと共有しながら取材を始めた。ベイリィさんと親しかった野見山暁治氏(1920-)や入江観氏(1935-)に、かつての銀座の賑わいや開廊当初の様子を伺ったりして半世紀をたどるうちに、ここが特別な画廊だったことを再認識させられた。特に巻末に付した計2154回の展覧会全記録は第一級の資料的価値がある。

ようやく構想が固まった2015年になって、牛尾さんから「ビルが解体されることになり、来年で閉めなければならなくなった」と告げられた時は愕然としたが、50周年の節目に画廊を閉じる記念となる本を是が非でも作らねば、と意を強くした。スケジュールがいよいよ押し迫った際も、かつての先輩たちが校正の手伝いを買って出てくれたのには胸が熱くなった。みんな、みゆき画廊が大好きだったのだ。

先般、神田の如水会館でみゆき画廊50周年パーティーが行われ、300人を超える出席者がこの特別な画廊の閉廊を惜しんだ。この5年間に取材した方々から「いい本になったね。ベイリィさんも喜んでいるよ」と声をかけていただき、安堵した。表紙から優しい笑みを投げる50年前の若かりしベイリィさん。生前に言葉を交わすことはなかったが、ベイリィさんのことを次世代に伝えることができたのは僥倖だった。遺志を継いだ牛尾さんが本書で「初めから決まっていた」と述懐するように、この本を作ることも初めから決まっていたのかもしれない。

東京の桜が散る頃には、みゆき画廊はもう、ない。拠り所としていた場所がなくなる喪失感を今から覚悟しているが、6月になれば「うしお画廊」が新たにオープンする。4年後のオリンピックに向けてさらに変容と進化を遂げる銀座の街で、この小さな画廊から新たな美の息吹が発信されることを心待ちにしたい。

(編集担当:八島慎治)