みすず書房

ショーター/ヒーリー『〈電気ショック〉の時代』訳者解題より

『〈電気ショック〉の時代――ニューロモデュレーションの系譜』川島・青木・植野・諏訪・嶽北訳

2018.02.21

(「訳者解題」より一部抜粋)

■本書の内容と著者について

本書は米国で2007年に出版されたエドワード・ショーターとデイヴィッド・ヒーリーの共著Shock Therapy: A History of Electroconvulsive Treatment in Mental Illnessの日本語訳です。
タイトルになっている「ショック療法Shock therapy」とは、電気けいれん療法(ECT)のみならず、インスリンショックや薬物によるけいれん療法を含めた治療を指す俗称ですが、これは日本ではなじみの薄い言葉であり、本書の大部分でECTがテーマとなっていることから、本邦で認知度の高い用語である「電気ショック」を邦題に含めることにしました。

著者の一人、エドワード・ショーターは2018年現在トロント大学の医学史教授で、米国における精神医学史研究の代表的人物です。特に精神薬理が勃興した以降の現代精神医学史を語る上で、生物学的精神医学と精神分析のいずれとも距離をとった彼の史観は不可欠と言えるでしょう。
邦訳されている主な著書に『精神医学の歴史──隔離の時代から薬物治療の時代まで』『精神医学歴史事典』『精神病性うつ病──病態の見立てと治療』(コンラッド・シュワルツとの共著)などがあります。氏の著書は現在顧みられなくなっている精神医学の多様性をひもとき、いま真実とされている思想も盤石とは言えないことを気づかせてくれます。

もう一人の著者であるデイヴィッド・ヒーリーは2018年現在英国バンガー大学精神科教授、精神科医、精神薬理学者で、新規抗うつ薬SSRIによる自殺の危険性をいち早く指摘し、医療と製薬企業の関係についての論争を巻き起こしたことでも知られています。その魅力は大量のインタビューと医学史的資料、科学的根拠をもとにした多層的な主張にあり、『抗うつ薬の功罪──SSRI論争と訴訟』『抗うつ薬の時代──うつ病治療薬の光と影』『ヒーリー精神科治療薬ガイド』『双極性障害の時代──マニーからバイポーラーへ』『ファルマゲドン──背信の医薬』など、現代精神医学が抱える問題点を鋭い視点から批判し、本邦でも話題を呼んだ多数の著作があります。

本書における二人の著者の分担はほとんど明記されていませんが、多くの文献をひいて歴史的事象の流れを記しているのがショーター、精神医学における科学的根拠の危うさについて、批判的な考察を示しているのがヒーリーではないかと思います。この二人の共著は本書が初めてですが、これまでもそれぞれの著作の謝辞にお互いの名前が挙げられていることからも、両者の関わりの深さがうかがえます。
彼らの抜きんでた点は、専門的な視点から科学的根拠を吟味しつつ、同時にそれを生み出した科学者、医師たちの人物像を掘りさげることで、時代背景を含んだ年代記を作り上げていく手腕にあります。両者の力が存分に振るわれた結果、この本はトリビアルな医学史、医療倫理的問いかけ、文化史、群像劇、医療のイデオロギー闘争の記録といったさまざまな顔を備えた力作に仕上がっていると言えるでしょう。

ただし、本書を読み進めるにあたっては注意すべき点もいくつかあります。巻末をご覧いただけばわかるように、引用には査読を経た論文だけではなく、著者らが行ったインタビューも多く使用されています。その中では当然ながらインタビュイーの私見が述べられていることも多いため、記されている内容が科学的な裏付けを伴っているかについて、引用を参照して判断されることをお奨めします。本書のためにもっとも多くの情報を提供しているのは序文の冒頭にも登場する精神科医マックス・フィンクであり、ECTの復興を強く押し進めたフィンクの証言は本書の論調にも大きな影響を与えたと考えられます。豊富な取材と科学的知見に裏付けされているものの、本書はあくまでも歴史に比重が置かれていることにご留意ください。

■補足その1──日本での状況

本書ではあまり触れられていなかった日本での状況について、ここで簡単に触れたいと思います。本邦にもECTは開発早々に持ち込まれました。チェルレッティらの報告の翌年である1939年には九州大学の安河内五郎らによる本邦初の症例報告があり、翌年には慈恵大、光風寮、福岡脳病院、台北大、小峰病院からも報告が行われました。1941年には東京府巣鴨病院に勤務する医師であり、歌人・小説家でもあった斎藤茂吉もECTの経験について報告を行っています。これらの資料から、ECTは本邦でも当時かなり盛んに行われていたことが解ります。

本書の第9章でも東京大学の紛争について触れられているとおり、1970年代にさしかかると、日本でも精神医学に関連した社会運動が盛んになり、特に関西を中心にECTはほとんど行われなくなりました。大熊一夫による朝日新聞での連載記事「ルポ精神病棟」のような、ECTを否定的に描写したノンフィクションも登場しています。メディア、文化運動と密接に関係した反ECT運動の盛り上がりは欧米の状況ともおおむね同期していたと言えるでしょう。
その後のECTの復興は欧米に比べて本邦では幾分遅れが生じています。修正型ECTについては1958年に島薗安雄らから症例報告が行われていますが、国内で広く用いられるようになったのは1980年代に入り、ECTの必要性が再認識されはじめてからのことです。記憶への影響が少ないことで知られるパルス波治療器が厚生労働省の認可を受けたのは2002年になってからです。

2000年前後よりようやく日本でもECT復興の機運が高まりはじめました。2002年には技法や適応、環境についての推奨を記した「電気けいれん療法推奨事項」が策定されました。これは本邦におけるガイドラインにあたるもので、現在まで改訂を重ねることで、ECTの標準化が進められています。同年には倫理的な配慮について記した「電気けいれん療法の使用に関する提言」が全国自治体病院協議会から発信されました。この提言にはECT導入決定の際の多職種カンファレンス開催や、インフォームド・コンセント取得、修正型での運用などを強く推奨するものです。

しかしその一方で、2010年に日本精神神経学会、日本総合病院精神医学会が中心となって行った全国実態調査では、筋弛緩剤を使用した修正型ECTのみを行っている施設は回答のあったECT施行施設の4割弱であり、パルス波治療器を使用していない施設は半数に上るなど、修正型ECT、パルス波治療器ともに充分な普及が進んでいない状況が明らかになっています。近年海外で一般的な選択肢として広がりつつある右片側性ECTについても施行している施設はまだ限られており、本邦での普及はこれからの課題と言えるでしょう。

■補足その2──昨今の国際的な状況

本書の出版以降の国際的な動向についても簡単に述べます。第11章で取り扱われている精神科領域の新しい身体療法は、「ニューロモデュレーション」といういま風の呼称を与えられ、この本が出版されたころよりもさらに注目と期待を集め、ちょっとしたブームと言える状況が続いています。

ただし、精神科臨床における新規ニューロモデュレーションの使用はまだ限られており、期待が先行するような状況に変わりはありません。2017年の時点で、反復性経頭蓋磁気刺激(rTMS)はうつ病、深部脳刺激(DBS)は難治性強迫神経症を対象として欧米の臨床現場で使用されはじめ、ニューロフィードバックについてはうつ病や認知機能、恐怖記憶などへの効果を調べる臨床研究が日本でも行われています。しかしながら、うつ病に対するDBSと磁気けいれん療法(MST)は臨床試験でよい結果を出せない状態が続き、技法や方法論の再検討が繰り返されています。rTMSを除けば、日本における精神科臨床への導入はいずれも当分先のことになるでしょう。

また、その一方でDBSについては依存症や神経性食欲不振症の患者を対象とした臨床試験が行われるなど、効果が期待されると共に適応の拡大が懸念されています。また、本書には詳しく記載されていませんが、うつ病を対象とした経頭蓋直流電気刺激(tDCS)の臨床研究報告も多く見られるようになってきました。これについては、治療器の構造が簡便であるためインターネットの情報をもとに機器を自作し、個人的に使用するといった、いままでになかったような形の乱用が問題になっています。第12章において現代精神医学の思考が「バイオ・バブル」の最中にあると批判されていますが、これからの時代が「ニューロモデュレーション・バブル」と批判されるようなことにならないように、医療者、科学者たちは歴史に学び、社会に目を向けながらこの先の歩みを進める必要があります。

2017年12月25日

訳者を代表して 諏訪太朗
copyright Suwa Taro 2018
(筆者のご同意を得て抜粋転載しています)