みすず書房

歴史を書く・語る行為の方法と思想の最前線

ダン・ストーン『野蛮のハーモニー――ホロコースト史学論集』上村忠男編訳

2019.11.12

いまからさかのぼること四半世紀前、広い意味での「ポスト・モダニズム」が突きつけた挑戦、すなわち、歴史について考えたり書いたりするさいのアルキメデスの点であると多くの歴史家たちが受け取ってきた客観性への攻撃を受けて、サウル・フリードレンダーの編んだ論集『表象の限界を検証する――ナチズムと「最終的解決」』(1992年)が取り組んだ問題が、その意義を失ってしまったわけではない。アウシュヴィッツに象徴される「限界に位置する出来事」に即して、表象の限界を検証するという問題がそれである。(上村忠男による本書の紹介文)

著者が日本の読者に向けて書き下ろした「日本語版論集への序言」のなかに、各章の要点が記されています。以下は編集部による要約です。

第一章

ホロコースト史学についての最も明々白々な事実は、その規模と射程の大きさである。冷戦終結以後のホロコースト史における重要な展開のいくつかを概観する。

第二章

多くの思想家が、何がナチスを彼らがおこなったことをおこなうように駆り立てたのかを説明しようと試みてきた。そしてそこにある不透明さこそが探究の主題をなしてきた。
ナチスは人間学すなわち人間にかんする研究を作り替えようとしたのであり、人間として算入されるのはだれで、算入されないのはだれかを定義し直そうとしたのだというハンナ・アーレントの論をとりあげる。

第三章

歴史は避けがたく詩的な行為である。ひいては、歴史家たちは過去を構築する数多くのさまざまな仕方を探求し実験してみなければならない。というのも、過去を構築する単一の「正しい」仕方などは存在しないからである。そうした視野から「物語理論」をあつかう。

第四章

この文化史にかんする章では、方法論的多様性がどれほどホロコーストについてのわたしたちの理解を豊かにするかを示す。

第五章

もし過去が未解決でたえず再解釈に付されるのでないとしたら、同一の主題にかんしてこれほど多くの本が書かれ、その主題の意味するものをめぐってこれほど多くの意義申し立てがなされることはなかっただろう。歴史の方法論についての章。

第六章

フィンランドの歴史理論家ユニ=マット・クーッカネンが近年、「合理的構築主義」として擁護したものをめぐり解説する。

第七章

アウシュヴィッツのゾンダーコマンド〔ガス室で殺害された死体の焼却や処理を担当していた主としてユダヤ人からなる労働部隊〕のメンバーによって収容所内で秘かに撮影された4枚の写真を検証する。20年前当時、これらの写真が言及されることはほとんどなく、先駆的論考となった。

第八章

ゾンダーコマンドたちは殺害工程の中心部にいただけではない。彼らはホロコーストから得られる最も法外な資料を地中に埋めて遺してあの世に旅立った。「アウシュヴィッツの巻物」と呼ばれる資料群である。

ひとは彼ら(ゾンダーコマンド)の遺した写真や書き物を分析して、どれほど多くのことをわたしたちが知っていようとも、ことがらの核心には暗くて不透明なもの残っているという考えに触れないままでいることはできない。(「日本語版論集への序言」)

* カバー画について

本書のタイトルとなった「野蛮のハーモニー」とは、「アウシュヴィッツの巻物」を遺したゾンダーコマンドのひとりザルマン・グラドフスキが収容所内の囚人オーケストラの演奏する音楽を聴いて表現した言葉です。

「これはなにを意味しているのだろうか? この労働の戦場で、過去からの魔術めいた生の響きでもってわたしたちの魂を揺さぶる、死のキャンプの音楽、死の島の上での生の響きは? ここ、この大きな墓場のなかでは、ありとあらゆるものが死と破壊を呼吸しているというのに。去年の生なら思い描けるということなのか? しかし、ここではなにもかもが可能なのだ。これは野蛮のハーモニーである。サディズムの理性である」(本書、第八章)

本書のカバーに使用したドローイングは、ビルケナウから生還したユダヤ人画家フランツ・ライス(1909-84)の作品です。
ザクセンハウゼン収容所から生還したポーランド人のジャーナリスト・歌手であったアレクサンデル・クリシェヴィッチ(1918-82)が戦後、心血を注いで収集した収容所関係の絵画の一枚でした。
この絵が描かれた状況は今となっては不明ですが、クリシェヴィッチは彼の収集品および調査の出版を日本人研究者に託し、今から40年前に日本で本になりました。

坂西八郎・エイジ出版共編『エクツェ・ホモ ECCE HOMO──ナチ収容所の画家達とA・クリシェヴィッチの証言』(エイジ出版、1979年)

ゾンダーコマンドによる「アウシュヴィッツの巻物」や写真、歌、蜂起者あるいは犠牲者の名前リスト…多くは生きて還れなかった人々がこれらに「脱出」を託しました。何枚もの絵もまた、外の世界、後世に向けて秘かに強制収容所の中で描かれたのだと想像します。