みすず書房

スチュアート・D・ゴールドマン『ノモンハン1939』

第二次世界大戦の知られざる始点  山岡由美訳 麻田雅文解説

2013.12.25

先日ある先生が雑談の折にふと、「日本でのノモンハン事件への関心には、何か独特なものがありませんか。なぜでしょう?」とおっしゃった。確かに、それは以前から何となく気になっていたことだったが、理由を考えたことがなかった。
改めて考えを凝らしてみてふと思い出したのが、本書を準備中に長年の積読を解消した大岡昇平の『レイテ戦記』と、遅ればせながら観た今村昌平の企画による記録映画『ゆきゆきて 神軍』。太平洋戦争の陸戦で起きたことは、レイテ島にしろ、ニューギニア島にしろ、硫黄島にしろ、沖縄にしろ、暗澹を極める。しかしそれ以前のノモンハンでの戦闘は、凄惨ではあったが、多くの餓死者を出したレイテ島の戦いや、『ゆきゆきて 神軍』で奥崎謙三が暴いたような組織的な人肉食が起こる戦争末期の状況とは違う。日本陸軍にとって初の本格的近代戦であるが、日中戦争につきまとう「謀略」「侵略」の文字もそこにはない。「独特なもの」の理由を強いてあげるとすれば、そのあたりだろうか。

それとも、辻政信という特異な中心人物のためだろうか。この関東軍の作戦参謀は、独善的な国境紛争処理要綱を起案して軍事衝突を招き、ノモンハン後に左遷されるもほどなく参謀本部に返り咲いて、今度は太平洋戦争への道を敷くことに一役買った。終戦を東南アジアで迎えると、連合国の追及を逃れるため僧侶に扮してアジア各地で逃亡を重ね、戦犯を解除される1950年までの数年は日本国内に潜伏した。その後は国会議員に立候補し当選、あろうことか、自衛隊を軍隊にするために憲法改正を訴えた。さらに『ノモンハン』『潜行三千里』『ガダルカナル』など、自身の体験を描いてベストセラー作家にさえなる。
下位の将校らがノモンハンでの失敗の責任をとらされ自決を強要された一方で、自らは社会的成功をおさめたわけだ。なぜ彼のような人物が絶大な影響力を持ちえたのか。義憤とともに、その闇に迫りたいという気にもなる。ノモンハン事件にはどこか、独特の感情や感慨を誘うところが、確かにある。

アメリカ人である本書の著者ゴールドマンは、その点、客観的だ。辻政信についても「憤懣やるかたなし」の念はない。日本陸軍の精神論については、当時の日本軍の状況における一定の合理性すら見出している(擁護はしていない)。学生時代にノモンハン事件のことを初めて知って強烈な関心を抱いたのは、これと軌を一にするように独ソ不可侵条約が締結されたからで、これほど大規模の戦闘が欧米ではほとんど知られていないことにも衝撃を受けた。

ノモンハン事件に執念にも似た関心を抱いた欧米人には他に、1985年にNomonhan: Japan against Russia,1939を刊行したアルヴィン・D・クックスがいる。文庫で4巻になる日本語版は絶版だが、英語版はまだ版を重ねている。クックスはノモンハン事件当時その報道に接したが、それはかなり不正確で、極東専門家でさえ全くの誤報を伝えた。やがてヨーロッパで戦争が勃発するとノモンハン事件など些事となり、本当は何が起きたのか明らかになるまでもなく忘れられていった。関心が復活したのは、戦後の日本で旧隊員らが旧交を温め始めた頃である。その傍ら、事件当時から関心を維持し続け、網羅的・客観的な戦記を書き上げたのがクックスだった。そのクックスに、ゴールドマンも薫陶を受けている。

そして、尖閣諸島や竹島での領有問題や改憲問題をかかえる今、ノモンハン事件から我々が学べることは何だろうか。ゴールドマンの本書には、「独特なもの」のないところで見えてくるノモンハンがあるのではないかと思う。

◇出版情報紙「パブリッシャーズ・レビュー」のご案内

タブロイド版出版情報紙「パブリッシャーズ・レビュー みすず書房の本棚」第9号(2013年12月15日発行)では、第1面にゴールドマン『ノモンハン1939』(山岡由美訳・麻田雅文解説)をとりあげ、鎌倉英也氏(NHK制作局専任ディレクター)にエッセイ「現在形としての「ノモンハン」」をご寄稿いただいて大きくご紹介しています。