みすず書房

川本徹『荒野のオデュッセイア』

西部劇映画論

2014.02.10

恥ずかしながら川本徹さんのテクストに出会うまで、モニュメント・バレーのことなど露知らず映画を観ていた。つまりはまるで細部を観ていなかったことになる。

たとえば本書編集作業中にテレビ放映されたクリント・イーストウッド『アイガー・サンクション』(1975)。中盤のロケ地はまるまるモニュメント・バレーである。広大な荒野を車で駆けめぐり敵方スパイを置き去りにして死なせたあと、イーストウッドはジョージ・ケネディとともにトーテム・ポールに登る。ふたりのいる頂上からカメラが引いてモニュメント・バレー全体を映し出すや、一転してアイガー北壁に飛ぶのである。アメリカ的「崇高」からヨーロッパ的「崇高」への瞬間移動。

あるいは、これもたまたま同時期に放映されたセルジオ・レオーネ『ウェスタン』(1968)。クラウディア・カルディナーレが嫁ぎ先の開拓者一家のところに馬車でむかう途上、暗雲垂れ込める姿でモニュメント・バレーはあらわれる。具体的に登場するのはこの書割的なロングショットにかぎられるにしても、舞台に設定されたのはアリゾナである。そして冒頭からラストにいたるまで、全編鉄道(建設)をめぐる映画なのだ(『アイガー・サンクション』のばあいはわずかながらの出番だが、山の内部をへめぐる山岳鉄道が絶壁に宙づりになった主人公を救う手立てとなる)。

一方は西部劇ではないアメリカ映画、他方はイタリアとの合作西部劇。とはいえ、アメリカ西部劇によって培われてきた正統的フロンティアのイメージがそこかしこに浸透しているのは明らかだろう(イーストウッドはともかく、レオーネはベルナルド・ベルトリッチ、ダリオ・アルジェントとありとあらゆる西部劇を観ながら原案を練ったらしい)。いや、少なくとも個人的に「明らか」になりえたのは『荒野のオデュッセイア』を読み目からウロコが落ちていたためである。

ファントム・ライド映画、フロンティア・メロドラマから西部劇映画へ。モニュメント・バレーを一躍世に知らしめたのみならず、アメリカ全土に遍在させ、砂漠を海にすら書きかえたジョン・フォードの匠の技。『西部開拓史』宇宙版として構想された『2001年宇宙の旅』におけるスタンリー・キューブリックの驚くべき「眼の冒険」。アニメ『トイ・ストーリー』シリーズにまで反復されるカウボーイと列車強盗、のみならず原爆生産・核実験の地としての「西部」のダブルイメージ……。

緻密なミクロロジーに大胆な飛躍があわさった映画研究にしてアメリカ文化論。地上のフロンティア消滅後に生まれた「シネマティック・フロンティア」がなぜ20世紀のアメリカと並走しつづけたか――この問いに著者はきわめて説得力あふれる解をもたらしている。ぜひ、読んでいただきたい。