みすず書房

エミリ・ブロンテ

Emily Jane Brontë

1818年7月30日ヨークシャーのソーントン牧師館でパトリック・ブロンテとマリア・ブランウェルの間に第五子、四女として生まれた。長女と次女が十歳余で死亡したので、事実上ブロンテ三姉妹の真ん中となった。ケルト人の両親からすぐれた想像力を受け継いだ。父親は英国国教会牧師であったが、母親は1821年に死亡し、伯母エリザベス・ブランウェルが姉妹の面倒を見た。カウアン・ブリッジやロウ・ヘッドで教育を受け、またロー・ヒルで教鞭をとったが、いずれも激しいホームシックのために挫折した。1842年姉シャーロットとともにブリュッセルに留学し、フランス語、ドイツ語を修得した。「ブロンテ女学校」の夢は果たせなかったが、少女時代から妹アンとともに「ゴンダル」の空想世界を創造し、詩作して遊ぶという文学的生活が両親から受け継いだ才能を磨き、稀に見る天才を育んでいった。1846年三姉妹による『カラー、エリス、アクトン・ベル詩集』を出版したが失敗し、小説の道に入って初めて『嵐が丘』(1847)を書いた。小説の第二作を書いたかどうかはわからない。彼女は「ゴンダル」の創造を止めず、最期まで「ゴンダル」にこだわった。1848年9月兄ブランウェルが死亡し、その葬儀で風邪を引き、それが胸部の疾患を悪化させ、1848年12月19日ヨークシャーのハワース牧師館で死亡した。