みすず書房

「先生の文、独り其字々軒昂せるのみならず、飄逸奇突、常に一種の異彩を放って、神韻の文、天馬の空を行くが如く」と幸徳秋水に評された兆民の文章は、新聞雑誌の論説においてもっとも生彩を放った。明治14年、東洋自由新聞主筆として論説記者の閲歴を開始する兆民は、同紙第2号の社説に、「詭激ノ言」と「矯妄ノ行」に走ることなく「精密ノ論」を立て「堅確ノ志」を持続してこそ大業は成る、と書いた。

「自由民権の原理論を説くに先立って、兆民はこれを主体たる人間にとって必須の要件だとした、かれ自身においてそれがどこまで充されたか、これが小著をつらぬく主題である」。

自由平等の大義を説く〈思想家〉兆民の姿はよく知られるところである。しかし明治24年に第一議会で敗れ、実業界に活路を求めている間に、兆民は変貌する。かつて常備軍全廃を「平民の主義、経済の旨趣」に合致すると説いたのと裏腹に、みずから主宰した国民党の機関誌「百零一」創刊号では、軍拡・対露開戦論者となっていた。

本書は、専制政府と戦い続ける曲折に満ちた〈記者〉兆民の全貌を、綿密な実証をもって初めて明らかにするものである。ここに、志向と行動と言論のあり方を問う試金石として、兆民は現代に蘇る。