みすず書房

「ナポレオンは死んだが、また別の男が出現して、モスクワでもナポリでも、ロンドンでもウィーンでも、パリでもカルカッタでも、連日話題になっている。この男の栄光は、文明の及ぶ境界に制限されるだけである。しかもまだ32歳にもならないのだ」。

この有名な書き出しで筆を起こすスタンダールは「私はたった一つの〈貴族〉しか認めない。才能の貴族である。高徳の士はそれに次ぐ。偉大な事業をなし遂げた人、巨万の富を積んだ人はようやくその次にくる」ともいう。そして「イタリアと音楽世界に神のように君臨するロッシーニ」と当時の音楽状況を本書で語り尽くす。アルプスの南と北、すなわちイタリアとフランスを中心にオペラの楽しまれ方の違いを、作曲家・出演者・演出・観客・劇場・街・国、そしてそれぞれの国における教育のあり方までも論じる。

ロッシーニの作品については、本書が書かれた1823年までの全作品が紹介され、同時代の多くの作曲家の作品と比較される。

ベートーヴェン、シューベルトと同時代に名声並ぶものがなく、ワーグナーに作曲家とはバレストリーナ、バッハ、モーツァルトそしてロッシーニだと言わしめながら、歿後急速に忘れられたロッシーニは、今世紀に入って、多くの蘇演がなされ、今ロッシーニ・ルネサンスが言われている。ロッシーニと同時代人であり、希代の音楽通(ディレッタント)であったスタンダールの、虚実ないまぜとなった本書から浮かび上がってくるのは、若き日のロッシーニの姿とナポレオン時代の世相である。

ロッシーニ研究における第一次資料であるとともに第一級の読物でもあろう。スタンダールによる当時のイタリア・オペラ評『ディレッタントの覚書』全文を併録し、詳細な訳注と索引を付す。