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新=東西文学論

批評と研究の狭間で


好評をもって読書人に迎えられた『きまぐれな読書』につづく、読み巧者・富士川義之による第二冊目である。今回は、副題にもあるとおり、ちょっと読みごたえのある論考をも収めている。なかでも、エリオットの『荒地』の読解やラスキンによるターナーの絵の分析を紹介・批評した文章は圧巻である。また、カズオ・イシグロやアンジェラ・カーターの文学への手引きは過不足のない出来映えである。19世紀から現代の最前線にいたる豊かな英米文学の見取り図をこれほどみごとに描けるのは、いまこの著者をおいてはいないだろう。本巻はこれに見合うかたちで、著者が偏愛する日本の作家たちをめぐるエッセイ群も第二部に収めている。すなわち、漱石や百閒・中島敦から吉田健一・澁澤龍彦にいたる作家たちの魅力を存分に語った文章が並んでいる。読書をたんなる消費ではなく、豊かな経験とする読書人には恰好の一冊であろう。


「新=東西文学論」の著訳者:

富士川義之
ふじかわ・よしゆき
1938年岡山市に生まれる。1970年東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。国学院大学、都立大学、東京大学を経て、現在駒澤大学文学部教授。イギリス文学専攻。著書として『風景の詩学』(白水社、1983)、『幻想の風景庭園』(沖積舎、1986)、『記憶のランプ』(沖積舎、1988)、『世界の文学のいま』(共著、福武書店、1991)、『ある唯美主義者の肖像――ウォルター・ペイターの世界』(青土社、1992)、『英国の世紀末』(新書館、1999)、『ナボコフ万華鏡』(芳賀書店、2001)、翻訳としてウラジーミル・ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生活』(講談社、1970/講談社文芸文庫、1999)、ロレンス・ダレル『アフロディテの反逆』(『トゥンク』と『ヌンクァム』筑摩書房、1976)、ナボコフ『断頭台への招待』(集英社、1977)、オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの画像』(講談社、1978)、ナボコフ『青白い炎』(筑摩書房、1984)、ウォルター・ペイター『ルネサンス』(白水社、1986)、アンジェラ・カーター『血染めの部屋』(筑摩書房、1992/ちくま文庫、1999)、A.S.バイアット『マティス・ストーリーズ』(集英社、1995)、ミッシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア『ヴェネツィアの薔薇』(集英社、2002)、編訳『ウォルター・ペイター全集』全三巻(筑摩書房、2002)ほか。
※ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

著者からひとこと

イギリス・ロマン派の詩と散文における風景表象の問題、ターナーの神話的風景画を分析しながら、「マモンの神」(「富の邪神」)に仕える現代人を鋭く批判するラスキン、スウィンバーンやバーン=ジョーンズからワイルドやビアズリーにいたる芸術家たちが注目したタンホイザー伝説、錯綜した意識の発する声から自分の声の発見ということのほうへと展開する長編詩として見る『荒地』論、さらには「語り直された童話――アンジェラ・カーター」や「過去は外国である――カズオ・イシグロの英国性」など、第1部は、多種多様な考察を提示しています。

さらに第2部では、漱石・百閒・中島敦・吉田健一・篠田一士・澁澤龍彦など、わたしの偏愛する日本の文学者たちに関するエッセイを収めています。幻想作家漱石、百閒の女たち、中島敦の文体論、「明るい憂い――吉田健一」、「所有の王国のスタイリスト――澁澤龍彦」などです。 わたしは批評か研究かという二者択一ではなく、批評と研究の狭間で仕事をするという姿勢を長い間に自ずと身につけました。性分に合っていたからです。本書の副題を「批評と研究の狭間で」としたゆえんです。そのような姿勢に立って英米及び日本の文学を読みといた本書を、ご愛読いただければ望外の幸せです。(2004年1月 富士川義之) ...続きを読む »

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新=東西文学論

「新=東西文学論」の書籍情報:

A5判 タテ210mm×ヨコ148mm/352頁
定価 6,300円(本体6,000円)
ISBN 4-622-07073-1 C1095
2003年12月18日発行

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