みすず書房

「わたしの議論は、あまりにも草稿にすぎぬ未完の『北方行』を重視しすぎるという批判があるかもしれない。しかし『北方行』を絶筆してから中島敦には6年の歳月しか残されていなかった。しかもその絶筆は、作者の自発的なものではなく外部からの無言の圧力のまえにやむをえずとられた措置だった。とすれば以後中島敦が、『北方行』で全面展開しようと心に期していた主題を、他の何らかのかたちで表現し展開する方策を死力をつくして模索したことは想像にかたくない。いってみれば6年の歳月は、異常な密度をもって、そこにすべてを賭けた模索につぐ模索に終始したとさえ見えるのである」

谷崎潤一郎に現代小説の展望を見いだし、「本格的な構想的ロマン」にこだわりつづけた中島敦が、1930年初秋の北京を舞台にした長篇「北方行」の完成を断念したのはなぜか? この問いに始まる本書は、同時代と真摯に向き合い、〈歴史〉をかいくぐりながら〈他者〉への問いを深化させていった日本最初の植民地出身作家の全軌跡を明らかにしてゆく。「巡査の居る風景」ほか初期短篇群から、掉尾を飾る「李陵」まで——「作品すべてを網羅する中島敦の全体像」を、まっこうから提示した待望の書。