みすず書房

陸奥宗光は、日清戦争の外交指導に、時の外務大臣として敏腕を振るった。機略縦横のいわゆる「陸奥外交」である。彼は現職の外務大臣としては異例なことに、事件の直後に、ことの顛末を記した一書を著わした。それが『蹇蹇録(けんけんろく)』である。著者は、この本に、二つのアプローチを試みる。一つは、なぜ書かれたのか、その執筆動機を探ること。もう一つは、この本から「陸奥外交」の実態を明らかにし、その歴史的意味を考えること、である。

一般には、これは日清戦後「三国干渉」を招いたことに対する弁明の書と見られている。果たしてそうか。刊行事情を調べるうちに、そこには弁明という以上の自負が見出される。また『蹇蹇録』の刊本と遺された草稿とを対校していく過程で、活字にされなかった部分に、日清戦争時の外交の実態が鮮明に浮彫りにされてくる。たとえば、開戦に向かっての最初の軍事的行動となった朝鮮王宮占領もけっして偶発的事件でなく、外交政略とどのような関係にあったかが、草稿には明瞭に示されている。それはおよそ日清・日露戦争までは日本のリーダーの眼は冴えていて、国際的にも選択を誤らなかったといった通説に疑問を抱かせるものである。とすれば、陸奥は、真珠湾そして現在にまでいたる近代日本の外交史にいかなる位置を占めるのか。

一つの文献解読から、日本という近代国家の歴史的性格が見えてくるスリリングな本である。