みすず書房

かつて、非科学的な遺伝学説が日本の生物学界を席捲し、科学は機能不全に陥った。本書は日本の生物学史の暗黒期の記録であり、科学と政治の緊張関係や捏造事件について考える時、必ず振り返られるべき書である。
ソ連の生物学者ルィセンコは、1930年代に「春化処理」によって農作物を増産できると主張した。この理論は実験による検証を経ないままスターリン政権に採用され、理論に批判的な生物学者への弾圧を招き、のちに農業生産に大損害をもたらした。
日本でも同様の混乱が起きたことは語られなくなって久しい。本書は、日本でルィセンコ理論が台頭していった過程を、当時の科学者たちの問題意識や議論を精緻に追うことで描きだす。日本でこの理論が紹介された当初は、新学説を科学的に検証しようという態度が支持派反対派双方に見られたという。しかし議論は次第に思想論争へと変質していく。ルィセンコ理論は戦後の農業改革運動が失敗するまで暴走し続けた。

近年、ルィセンコ学説の根拠とされた現象の一部は「エピジェネティクス」というまったく異なるメカニズムで解釈できることが明らかになった。巻頭に本書のテーマと21世紀に至る生物学史の関係を紹介する解説を付した、初版刊行50周年記念版として本書をおくる。

[初版『ルィセンコ論争』1967年刊、〈みすずライブラリー〉版『日本のルィセンコ論争』1997年刊、新版『日本のルィセンコ論争』米本昌平新解説]

目次

『日本のルィセンコ論争』を読む——50周年記念版に寄せて(米本昌平)

はじめに

第一章 前史
ソ連における戦前の生物学論
日本のマルクス主義と生物学
遺伝学の正統派と非正統派

第二章 最初の衝突
発端
本格的な紹介
批判と反批判
むすび

第三章 政治の季節
ソ連における1948年論争
激怒する正統派
中間派の立場
ルィセンコ派と二つの世界
ルィセンコ学説の「勝利」
むすび

第四章 進化論をめぐって
進化論とメンデリズム批判
獲得形質の遺伝
レペシンスカヤの細胞新生説
自己運動論争
むすび

第五章 ヤロビの村で
ミチューリン運動のはじまり
ミチューリン農法
ミチューリン運動と生物学者
農民運動としてのミチューリン運動
むすび

第六章 斜陽に立つ
後退の原因
ルィセンコ学説の再検討
ミチューリン運動の再検討
ソ連では
むすび

文献表
あとがき
30年をへて——アマチュア研究者とスターリン主義
索引