みすず書房

■A5判函入 タテ二段組
■一年に一冊ずつ刊行

大隈重信(1838-1922)は、日本の近代国家の形成に深く関わるとともに、早稲田大学の創設をはじめ社会への影響力を終生持ちつづけた政治家であった。幕末・維新期から第一次世界大戦後におよぶ大隈の84年の生涯は、同時期の政治家の中でも、広範かつ多様な人脈によって彩られている。本書は、そうした人びとが大隈へ宛てた書翰を編纂・刊行するものである。
本書が収録するのは、(一)早稲田大学図書館、(二)早稲田大学大学史資料センター、(三)佐賀市大隈記念館の各機関が所蔵する大隈重信宛日本人和文書翰のうち、挨拶状や礼状など形式的なものを除いたほぼすべて(約7400通)である。収録にあたっては、あくまでも原文書を尊重し正確な翻刻につとめ、一通ごとに年代確定を試みた。
近年、近代日本の主要な政治家や大学創立者の関係資料が精力的に翻刻出版されているが、本書の刊行には、それらを凌駕する意義と価値があると確信している。大隈へ宛てられた書翰の一点一点を通じて、近代日本の歴史はその細部から精彩を放ちつつ、蘇ってくるに違いない。また、従来顧みられることのなかった人びとも、存在感ある歴史上の人物として注目されることになるだろう。本書の刊行が、ひとり大隈重信研究にとどまらず、近代日本研究の多様な分野に寄与し、近代日本像の再構築に貢献していくことを切望して止まない。

  • 大隈重信(1838-1922)についてのまとまった資料は今までなかった。大隈に宛てられた日本人和文書翰約7400通を公刊する本企画は、政治・経済・社会・文化・外交など日本近代史をあらたに浮彫りにする画期的資料である
  • 全書翰を差出人別(五十音順)に分け、差出人ごとに年月日順に構成
  • 早稲田大学創設者・大隈重信にかんする本企画は、早稲田大学創立125周年記念事業である
  • 翻刻・編集には早稲田大学大学資料センターが、これにあたる

大隈重信(おおくま・しげのぶ)

1838(天保9)年2月佐賀藩士の家に生まれる。旧名八太郎。藩校弘道館、蘭学寮に学び、長崎に出てフルベッキより英学を学ぶ。1868(慶応4)年3月新政府の徴士参与職、外国事務局判事に任じられ、同年12月外国官副知事に昇進。翌年3月会計官副知事、7月大蔵大輔、民部大輔、70(明治3)年9月参議に就任。73(明治6)年5月大蔵省事務総裁、10月大蔵卿(~80年2月)を兼ね、財政を主導した。81(明治14)年立憲制の早期導入を主張して伊藤博文らと対立、10月参議を罷免された。翌年4月立憲改進党、10月東京専門学校(現早稲田大学)を創立。87(明治20)年5月伯爵。88(明治21)年2月第一次伊藤内閣の外務大臣として入閣、黒田内閣にも留任して条約改正に尽力したが、翌年10月爆弾を投じられ負傷、辞任した。96(明治29)年9月進歩党を背景に第二次松方内閣に外務大臣として入閣、翌年3月より農商務大臣を兼任。98(明治31)年6月憲政党を与党として日本最初の政党内閣、第一次大隈内閣(外務大臣兼任)を組織した。1907(明治40)年4月早稲田大学総長に就任。大日本文明協会の設立や雑誌『新日本』の創刊など、国民文化の向上につとめた。14(大正3)年4月第二次大隈内閣を組織し、16(大正5)年10月まで務めた。同年7月侯爵。22(大正11)年1月死去、葬儀は国民葬にて行われた。主要編著書に『開国五十年史』、『東西文明之調和』。回顧録に『大隈伯昔日譚』、『大隈侯昔日譚』があるほか、没後まとめられた伝記として『大隈侯八十五年史』がある。