みすず書房

[新版]アーレント『全体主義の起原』『エルサレムのアイヒマン』を刊行

ハンナ・アーレント『全体主義の起原』全3巻[新版] 『エルサレムのアイヒマン』[新版] 新版刊行にあたって(2017年7月)

2017.07.26

「悪」をみつめた20世紀の古典。小社のロングセラー、ハンナ・アーレント『全体主義の起原』(全3巻)・『エルサレムのアイヒマン』を、新版としてこの8月に刊行いたします。(電子書籍も9月29日より配信

  • 全文に最新の研究成果を反映
  • 正確で読みやすく、用語・用字も一新
  • 『全体主義の起原』原書初版(1951年)に付された「まえがき」初収録(矢野久美子訳)
  • 矢野久美子による新解説(『全体主義の起原』)
  • 山田正行による新解説(『エルサレムのアイヒマン』)

今年1月にはトランプ政権下のアメリカで『全体主義の起原』がベストセラー入り、9月にはNHK-Eテレ(教育)の番組「100分de名著」(講師・仲正昌樹)で一カ月間とりあげられるなど、いっそう評価の高まる不朽の書を、次世代にもっと読み継ぎたいとの願いをこめて。

新版刊行にあたって

小社のロングセラー、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』(全3巻)と『イェルサレムのアイヒマン』は、時代がたつにつれてますます多くの読者を獲得するという、稀有な読まれ方をしてきました。本のもつ力のすごさを思い知ったしだいです。

みすず書房から『イェルサレムのアイヒマン』が刊行されたのは1969年、『全体主義の起原』の刊行は1972年と1974年でした。当時は、アイヒマンはむろん、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の全貌も日本では周知のことではなく、ソヴィエト・ロシアの実際は不明、ましてやハンナ・アーレントという名は、一部の政治学者以外にはまったく知られておらず、スターリン主義を批判した『全体主義の起原』およびその著者は、アメリカでも日本でも「右派の論客」だと考えられていました(アーレントのこの2冊の意義を察知し、日本語版刊行をみすず書房に促したのは、政治学者・丸山眞男の周辺にいた人たちでした)。
今から考えると、それほどに少ない情報と研究の蓄積のない状況で、よくここまでの翻訳が出来上がったものだと思います。ただ、刊行当初に日本でこの2冊の意義を受け止めることのできる読者は少なく、両書とも版を重ねることなく、長年品切れ状態がつづきました。

アーレントの名が(ドイツの哲学者ハイデガーとの関係も含めて)徐々に知れ渡りはじめた1980年代、みすず書房では『全体主義の起原』(全3巻)の新装版を1981年に刊行し、『イェルサレムのアイヒマン』を1984年に復刊(新装版は1994年)しますが、やはり動かず、版を重ねるようになるのは90年代になってからでした。それから驚くべきことに、この2冊は、2000年代、2010年代と、時代がたつにしたがって版を重ね、読者がどんどん増えていきます。

初版刊行から半世紀近くになる本をそのまま出しつづけるのではなく、より正確で読みやすいかたちで新たに提供するのは、出版社の一つの責任ではないか。このように考え、今回、訳者および訳者のご遺族の了解を得て、専門家に全文をチェックしてもらい、現代史・政治学・ホロコースト研究・アーレント研究の現在の水準に照らして訳語に大幅に手を入れ、かつ用字法や表記なども編集部で全面的に見直しました。索引項目も新たに加えたり、『アイヒマン』の「関係年譜」は新しくつくるなど、全体の隅々まで新版にふさわしくなるよう、配慮しました。
判型・組版も、今までのA5判から新たに手に取りやすい四六判にして全面組み替えました。
『全体主義の起原』第1巻の巻頭には、旧版にはなかった、原書初版(1951年)のアーレントの堂々たる「まえがき」を収録しました。
また、この「まえがき」を新たに訳していただいたアーレント研究者の矢野久美子さんには『全体主義の起原』3巻の巻末に「新版への解説」を、『全体主義の起原』および『エルサレムのアイヒマン』の全文をドイツ語版・英語版と併せてチェックしていただいた政治思想研究者・山田正行さんには『エルサレムのアイヒマン』巻末に「新版への解説」および「関係年譜」を、それぞれ書いていただきました。
『全体主義の起原』の著者名は旧版では「ハナ・アーレント」でしたが、新版では「ハンナ・アーレント」に、また『イェルサレムのアイヒマン』は、新版ではタイトルを『エルサレムのアイヒマン』としました。

今回、新版を決意した理由は、それだけではありません。「なゼアーレントが重要なのか」。この5月に復刊した、アーレントの数少ない弟子の一人エリザベス・ヤング=ブルーエルのタイトルによせて、今回新版を出すもう一つの思いを最後に記します。

全体主義が席巻し、難民としてアメリカに逃れたハンナ・アーレントは、その地でホロコーストの全貌を知ることになりますが、ナチズムとはいったい何なのか、なぜユダヤ人大量虐殺が起こってしまったのかを理解するには、時間がかかりました。出来事の意味はすぐに理解できるものではありません。アーレントは19世紀後半に反ユダヤ主義が誕生してから、ナチズムが席巻し、崩壊するまでの歴史的出来事を膨大な資料を読みながらつぶさに調べ、じっくりと考えて理解につとめ、そこで判断したことを『全体主義の起原』に書き上げました。スターリニズムとナチズムの同質性も、アーレントは理解しました。
アイヒマン裁判の傍聴と資料の読解から『エルサレムのアイヒマン』を刊行するまでのプロセスも、同様です。

驚くべきことではないかもしれませんが、この2冊に書かれている具体的叙述は、2017年という今起こっている世界の出来事と多くが重なり合います。私たちも今の世界で起こっている出来事をすぐには理解できません。この2冊を読むことを通して、過去の歴史から学び、アーレントの精神態度同様、私たちもじっくりと考え、理解し、判断することをわがものとしたい。

新たに生まれ変わる『全体主義の起原』と『エルサレムのアイヒマン』を、どうぞよろしくお願いいたします。

2017年7月