みすず書房

トピックス

双極性障害とそのバイオミソロジー

バイオバブルが人々を治療に駆り立てる時代

  • デイヴィッド・ヒーリー
  • [聞き手]クリストファー・レーン
  • (坂本響子訳)

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──従来子どもに対しては精神療法モデルが使われていたのに、1990年代になってこれほど急速に、薬物療法を主とするモデルへと切り替わったのは、なぜだと思われますか?

私の考えでは、この変化の鍵となるのは、操作的診断基準の普及です。操作的診断基準は、1980年代にDSM-Ⅲ(精神障害の診断・統計マニュアル第3版)に採用されました。その目的は、精神療法家と神経科学者との間にある溝を埋めることでした。たとえば、うつ病診断基準の9項目中5項目以上を満たす患者のみをうつ病と診断することになれば、たとえ病気の原因について意見が一致しなくても、少なくとも患者グループは均一な集団になるだろう──という期待があったのです。

それでもなお、臨床判断の余地はあるものと考えられていました。うつ病診断基準9項目のうち5項目を満たす患者でも、インフルエンザにかかっていたり妊娠していたりする場合は、うつ(depressed)ではなくインフルエンザや妊娠と診断されるだろう、と。しかし製薬会社のマーケティング、またインターネットの出現によって、臨床判断は侵食されていきました。患者さんはいまや、インターネットを使ったり製薬会社のパンフレットを目にしたりして、いとも簡単に自分がうつ病の診断基準に当てはまることを知ってしまいます。それなのに、診断基準に当てはまることと、その病気にかかっていることは別物だと、どこからも教えてもらえないことがままあるのです。

極端な話、高い社会性を必要とする職業の患者さんたちが私のところへやってきて、自分はアスペルガー症候群ではないかと言うのです。インターネットを見たら、その診断基準を満たすから、と。そういう人は定義上、アスペルガー症候群ではありえないわけです。臨床判断が不在になると、デフォルトで(自動的に)生物学的治療や薬物療法へと向かうことになります。診断基準は、薬物が唯一の解決法となりがちな問題をつくりだしてしまうのです。ちょうど、脂質レベルを測定することが、スタチン〔血液中コレステロールを低下させる薬物〕を唯一の解決法とするような問題をつくりだすのと同じように。

操作的診断基準はここで、多少とも医師の権威失墜とからみあっています。いまどきの医師は、患者さんに向かって「私の15~20年にわたる経験からすると、あなたはPTSD(心的外傷後ストレス障害)ではありません」とか、そういうことは言えないんです。「こんな話を続けてもらちがあきません。あなたも研修を受けて十五年臨床経験を積めばわかりますよ」とは言えないのです。

医師は、一般大衆文化に流布している資料情報のレベルに合わせて、患者と向き合うことを余儀なくされます。すると、自分が相手にしなければならない巷の情報というのが、製薬会社のマーケティング部門によっておそろしく巧妙に配置されていることに気づかされるわけです。彼らは自らの利益追求のために、一般文化に影響力を及ぼす名人なんですから。

──あなたは、1990年代半ばにあらゆる気分障害の約半数が、うつ病から双極性障害に診断を変更されたと指摘なさっていますね。このように劇的に見解が変わったのはなぜだと思われますか?

1990年代半ばに見解の変化を招いた重要な出来事といえば、アボット社がデパコート〔抗けいれん薬、バルプロ酸塩〕を気分安定薬として売り出したことです。それ以前には、気分安定化という概念は存在しませんでした。人気のテレビシリーズ「バフィー~恋する十字架~」〔1997~2003年に製作された米国のテレビドラマ。平凡な女子高生がバンパイアと戦う姿を描く〕では、それまで出てこなかったけれどもともといたらしい主人公バフィーの妹が、第五シーズンで突然登場するんですが、見ている人はこれを受け容れます。しかし、学問の世界でこんなことが起ころうとは、考えてもみないでしょう。

アボット社や、抗けいれん薬と抗精神病薬を売り込むためにわれもわれもと追随したその他の会社から気分安定化という語が紹介されたことは、バフィーの妹の突然の登場と、じつによく似ています。気分安定化という語は、1990年代半ば以前には存在しなかったのですから。それ以前のどんな参考図書や学術雑誌にも載っていません。ところがそれ以降、いまではどんな向精神薬の本にも必ず気分安定薬という項目がありますし、タイトルに気分安定化という語を含む論文は、年間100編以上もあります。

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