みすず書房

植民地に生きるとは。
近世グローバリゼーションの渦中にあったアンデス植民地世界。スペインによる「征服」(コンキスタ)は社会を根柢から覆す出来事だったが、そののち18世紀の独立革命までのアンデスは、激しい動乱も起こらなかった植民地社会の成熟期であるかのように考えられてきた。そうだろうか。先住民インディオたちは、日々どのような現実を前に自らの行動を選び取っていたのだろうか。

先スペイン期のインカはキープ(結縄)を伝統的記憶装置とする非文字的社会であり、植民地時代にもインディオの大部分は非文字的空間を生きていたが、スペイン人の文書至上主義が彼らの肉声を、彼らの創造した文化を、ただしスペイン語で紙葉の表層に刻印して今日に遺した。その精緻な読み解きから、彼らの実存が本書にみごと掬いあげられる。
〈奴隷的従属状態に置かれたインディオ、スペイン人と肩を並べる経済力を得たインディオ、スペイン語を自由に操るインディオ、紙礫を抛るインディオ、革命の先陣を切るインディオ、キリスト教と真正面から向き合うインディオ、真の自由を求めるインディオ……〉
〈底の見えぬどろどろに汚れた沼に投じられた鉛の錘が、水藻や汚泥に遮られながら、しかしゆっくりと沈んでいって、最後に、ずん、という重い響きとともに水底に触れる瞬間。そのような感覚とともに、ごく偶さかではあるが、数多くの史料をめくり通したあげくに、インディオたちの魂に触れたのではないか、という微かな思いを手にすることがあるのだ〉(「謝辞と解題」321頁、314頁)。
ひとつの歴史的世界が眼前に像を結ぶ。

(カバー写真は、子供を生贄にするカパック・コチャ儀礼の供物のひとつ。肩掛を銀のピンtupuで留めている女性小像。撮影・義井豊)

目次

第1章 インカ王の隷属民——ヤナコーナ、アクリャ、ミティマエス
はじめに
1 地方社会におけるヤナコーナ
2 インカ王権のヤナコーナ
3 インカ帝国における隷属の諸相
おわりに

第2章 植民地時代を生きたヤナコーナたち
はじめに
1 再生するヤナコーナ
2 都市社会を生きるヤナコーナ
3 ヤナコーナたちの相貌
おわりに

第3章 通辞と征服
はじめに
1 イスパノアメリカにおける通辞職の確立
2 二人の先住民通辞とカハマルカの出来事
3 カハマルカ以降の二人の通辞
4 誤訳と騒擾
おわりに

第4章 コパカバーナの聖母の涙——マリア像の奇蹟と離散のインディオたち
はじめに
1 セルカード誕生
2 サン・ラサロ教区先住民に対するレドゥクシオン
3 聖母の奇蹟
おわりに

第5章 聖母の信心講とインディオの自由
はじめに
1 セルカード——イエズス会の言説とインディオの言説
2 レドゥクシオンと遺言書
3 インディオの挑戦——大聖堂、御堂付司祭に対する司法闘争
おわりに

第6章 アンデス先住民遺言書論序説——十七世紀ペルー植民地社会を生きた三人のインディオ
はじめに
1 先住民の遺言書の実際——死刑囚アクーリの場合
2 先住民首長の遺言書——グァイナマルキとカハマルキの場合
3 闘争の場としての遺言書——フアナ・チュンビの場合
おわりに

第7章 異文化の統合と抵抗——十七世紀ペルーにおける偶像崇拝根絶巡察を通じて
はじめに
1 カトリック教会による統合
2 インディオ文化の抵抗の諸様相
3 二つの文化のはざまで
おわりに

補論

第8章 リマの女たちのインカ——呪文におけるインカ表象
はじめに
1 諸王の都リマと女たち
2 異種混淆的術とアンデスの伝統
3 コカと女、そしてインカ
おわりに

第9章 インカ、その三つの顔——古代王権、歴史、反乱
はじめに
1 歴史化されるインカ——植民地時代初期
2 インカ貴族の二十四選挙人会
3 インカへの欲望——植民地時代末期のインカ表象
おわりに——ポスト・コロニアル社会のインカ

第x章 謝辞と解題
1 若気の至り
2 アンダルシアでの出会い
3 冬霧のリマで
4 インディオ社会史
5 植民地時代のインカ
おわりに

初出一覧

索引

お詫びと訂正

2017年9月8日発行の本書初版第1刷322頁(第x章「謝辞と解題」最終節「おわりに」)におきまして、恒川惠市先生のお名前に誤記がございました。
恒川先生、読者のみなさまに、謹んでお詫び申し上げます。

書評情報

桜井敏浩
ラテンアメリカ時報2017年秋号(No. 1420)
桜井敏浩(アンデス文明研究会会員)
チャスキ56号
谷口智子(愛知県立大学准教授)
図書新聞2018年1月27日(土)
土屋好古
史学雑誌127編第5号「回顧と展望」(2018年)
横山和加子
史学雑誌127編第5号「回顧と展望」(2018年)
髙橋元貴(建築史)
都市史研究第5号(2018年11月25日発行)
伏見岳志(慶応義塾大学商学部准教授)
慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション第50号(2018年)71-79頁
高橋均(東京大学名誉教授)
アメリカ太平洋研究(東京大学アメリカ太平洋地域研究センター紀要)第19号(2019年)

関連リンク

UTokyo BiblioPlaza

東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

……私たちの研究領域では史料の多くが未刊行手稿の状態にあり、必然的に、海外の古文書館で継続して仕事をしない限り、独創的な勉強はできない。私も修士課程の段階から古文書学を学び、海を渡り、公証人文書や裁判記録などのくずし字と向き合う生活を送ってきた。/そうした年月を過ごしつつ、私が探求してきたのは「インディオ」という存在であった……

第x章「謝辞と解題」より(抄)

4「インディオ社会史」の冒頭をお読みになれます

……ここで書名について説明したいと思う。「インディオ社会史」には「インディオ社会の歴史」というよりも「インディオの社会史」という意味を込めている。そしてインディオ世界の社会史的探求へと私を誘ったのも、一冊の書物であり、それは……

[書評]伏見岳志「『インディオ社会史』を読む」

『慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション』第50号(2018)pp. 71-79(慶応義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)より全文(PDF、1.5MB)をダウンロードできます)

(リンク先ページのDownloadボタンをクリック)

[書評]高橋均「網野徹哉『インディオ社会史―アンデス植民地時代を生きた人々』」

『アメリカ太平洋研究』第19号(2019)pp. 81-86(東京大学学術機関リポジトリ(UTokyo Repository)より全文(PDF、376.07KB)をダウンロードできます)