みすず書房

P・シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』

ヒトの進化からみた経済学  山形浩生・森本正史訳

2014.01.10

一万年の人類史を経済学で斬る、稀代の名著、ついに刊行。

ダニエル・デネットによる序文


スムーズに動く自動車は、人生の喜びの一つだ。行きたいところに、時間通り、高い信頼性でたどりつけるし、その道中もほとんどの場合は何ら見苦しいところもなく、音楽を聴きつつ快適なエアコンのなか、GPSで道案内してもらえる。先進国では、自動車はあたりまえのものだと思われがちで、人生のなかで不変だとされ、いつでもそこにあるものだと考えられている。でも自分の車が壊れると、人生は大混乱だ。技術的な訓練を受けたカーマニアでもないかぎり、レッカー車や自動車メカニック、車のディーラーなどなどに大いに頼ることになってしまう。そしてどこかの時点で、ますますトラブルの頻発する車を見放して、まっさらな車で新規出発をしようと判断する。人生は何事もなかったかのように続く。

(原書カバー)

でも、それを可能にしてくれる巨大なシステムはどうだろう。高速道路、石油精製工場、自動車メーカー、保険会社、銀行、株式市場、政府は? 文明は何千年もスムーズに動いてきた──深刻なトラブルもいくつかあったが。そしてその複雑性と力も増してきた。この文明も壊れることはあるだろうか? もちろんある。そしてそうなったら復旧はだれを頼りにすればいいだろう? この文明が崩壊したら新しいのを買い直すわけにはいかない。だからいま動いている文明をきちんと補修しておこう。信頼できる文明のメカニックはだれだろう? 政治家、裁判官、銀行家、産業人、ジャーナリスト、教授──われわれの社会のリーダーたちは、実はみんなの期待よりもずっと、そこらの一般ドライバーに近いのだ。仕組み全体のなかで、自分の領域だけをどうにかしようと、卑近な活動しかしておらず、システム全体が依存している複雑性にはまったく無頓着。でも、彼らがそういう楽観主義的な近視眼状態にあるのは、システムの嘆かわしい矯正すべき欠陥なんかじゃない、とポール・シーブライトは論じる。それはむしろ社会を動かす力だ。あらゆる面でわれわれの生活を形成する社会という構築物の建物は、その構造がしっかりしていて、だれもそれを気にかけなくて良いという近視眼的な信頼に依存しているのだ。

本書でシーブライトは、人間文明をシロアリたちの蟻塚と比べる。どちらも作られたもので、見事な設計が幾重にも積み重なった驚異的なもので、地上高くそびえたち、無数の個体が協力して働いた成果だ。つまりどちらも、そうした個体を作りだした進化プロセスの副産物であり、どちらの場合にも目に見える驚異的な堅牢性と効率性を生み出した設計上のイノベーションは、個々の個体が考案したものではなく、そうした個体のほとんどは気がついていない、何世代にもわたる近視眼的な活動がもたらした幸せな結果なのだ。だが重要なちがいもある。人間の協力はデリケートで刮目すべき現象であり、シロアリのほとんど何も考えない協力とはちがうし、自然界ではまったく先例がなく、進化のなかでも独特の起源を持つ、他にはない特徴なのだ。

「現実の社会的構築」だの(ずっとましだが)「社会的現実の構築」だのについてはあれこれ書かれてきた。でもその著者のほとんどは、自分が記述しているもののすごさについては十分に理解しているのに──無邪気な自動車オーナーのように──その構築がどんなふうに行われたのか、そしてそのパーツがどうやって今のような形で相互作用するのか、皆目見当もついていない。こうした人生を豊かにする制度は、相互に作用して相互にかみあう信念体系で構築されている──何を期待し、何を期待すべきでないか、何を心配し、何は当然のことと見なすべきか、何はあり得て、何が(ほとんど)あり得ないか。人はこの構造を当然のもので、人生不変の事実だと考えがちだが、でもそれは生物学的にいえばかなり最近に発達したものだ。そして驚くべき自己安定化の力を持ってはいても、実は常識が想定しがちほどは強固なものじゃない。生物学者ダーシー・トムソンがはるか昔に述べたように、「あらゆるものが現在のようになっているのは、そうなったからだ」。そしてこの自明の理のように見えるものの背後にある深い思想は、いまわれわれが人間としての生活で依存している社会的な乗り物の強みと弱みを理解するにあたり、このほとんど意識されない構築を生み出した妥協や緊張関係に対する鋭い理解が必須なのだ、ということだ。シーブライトはわれわれの経済世界を少しずつ組み立ててみせ、なぜお金があり、銀行があり、企業があり、マーケティングがあり、保険があり、政府規制があり、貧困があり、政治的不安定があるかを示す。そしてこの複雑な社会的織物のなかで、情報がどう生み出され、使われ、無視され、利用されるかも示している。

近年の他の著者たちと同様に、シーブライトは協力の創発というものを、真に世界を変える現象であり究極的には生物学的──進化的──説明を必要するものと考えている。でも彼はパングロス博士的な楽観主義の罠には陥らない。協力は信頼に依存する。これは偉大なプロジェクトもひどいプロジェクトも可能にする、ほとんど目に見えない社会的な糊の一種だ。そしてこの信頼というのは、進化によって脳のなかに組み込まれた「自然な本能」などではないと彼は論じる。脳に組み込まれるには、あまりに最近すぎる現象なのだから。それはむしろ各種の社会条件の副産物なのだが、それは協力を可能にする条件であると同時に、協力の最も重要な産物でもある。われわれは現代文明のすさまじい高みに自分自身を吊り上げたのであり、人々の自然な感情や他の本能的な反応は、この新しい環境にとって必ずしも適切ではない。こうした社会構築物をリバースエンジニアリングすることで、シーブライトはその力の源泉を示すとともに、そのきわめて現実的で危険な限界をも描き出す。

本書の初版は刮目すべき本だった。人々の現状について新しい考え方をしようと呼びかける本だ。この改訂版はそれを基盤としてもっと説明を加え、当初の発想を現在の経済危機に適用することでその威力を実証し、もっと危機的な崩壊を今後予防するためには、どんな魅力的なまちがいを避けるべきかを教えてくれる(たとえば悪者を処罰してバカから権限を採りあげるのは、やるべきことのなかでも第一歩の比較的小さな部分でしかない。この先、聖人君子や天才であってもつまづきかねない、総合的な問題がまだあるのだ)。

本書はジャレド・ダイアモンド『銃・細菌・鉄』のようにきわめて野心的な本で、経済学に加えて歴史、生物学、社会学、心理学など驚異的な範囲の学問分野を渉猟し、これらの分野における学者たちのタコツボ的な視野に挑戦をつきつけるとともに、その業績を見事に活用してみせる。シーブライトの想像力はその学術性に負けず劣らず強力で、ページごとに新しい視野が開けるほどだ。彼はハッとするような対比が実にうまい。金持ちであることとくすぐられることとが似ているのはなぜ? どうして無人列車はあるのに無人飛行機はないの? 彼は、人はウェイターを殺して食事を無料で手に入れようという欲望を抑えるまでもない、というハッとする記述をする──でもヒトのいとこであるチンパンジーは、そうした欲望を抑えきれないはずだ。本書は私がこれまで読んだなかで、経済学的思考の力と重要性を最もはっきり実証してくれる本だ。業界用語もなく、あらゆる重要な概念について鮮明かつ優雅な説明をしてくれるので、経済学入門としても理想的だ。たとえば彼は、子供は平均すると両親よりもちょっと頭が悪い、と指摘する。でもその両親は、祖父母よりはちょっと頭がいいのだ! なぜこんなことがあり得るのか? 不思議だと思う人は、進化というものが適応性という道をどんな形で進むのか、まだまだわかっていないのだ。

再びシロアリの蟻塚を考えてほしい。われわれ人間の観察者たちは、その見事さや複雑さを享受できるが、その蟻塚に住んでいる連中の神経系ではそんなことはまったく不可能だ。われわれはまた、自分自身の人工世界についても同じような俯瞰的な視点を得ようと努力できる。そんなことを想像することすら、人間にしかできないことなのだ。それに失敗すれば、われわれはいかに善意でも、その貴重な創造物を破壊しかねない。われわれがただの「常識」と思うことですらかなりひねくれているので、あらゆるものを第一原理から考え直す必要がある。とても重要な本書がやっているのは、まさにそういう作業なのだ。

ダニエル・C・デネット
認知研究センター共同長
タフツ大学オースチン・B・フレッチャー哲学教授