みすず書房

グリーンスタイン/ザイアンツ『量子論が試されるとき』

画期的な実験で基本原理の未解決問題に挑む 森弘之訳

2014.11.27

この本の帯に書かれた「こんなに多くの、そして重要な疑問がまだたくさん残されているのに、どうしてあなたはそれほどあなたの理論に確信をもてるのですか?」という問いは、アインシュタインが量子力学の創始者であるハイゼンベルクに投げかけたとされる[ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳、p. 112]。量子力学が誕生したばかりの1926年のことである。『量子論が試されるとき』を読み終えてから、この言葉をふと目にしたとき、アインシュタインの疑問の正しさと明澄さにいまさらながら打たれる気がした。本書の読者にもきっと同じような感慨を共有してもらえそうな気がして、看板代わりにこの問いを帯に刷ってみた。

問われたほうのハイゼンベルクは暫し答えに窮するが、やがてひねり出したのは、要約するとこういう返事だった。──この理論体系が数学的に簡明で美しいということが、自分にとっては大きな説得力をもっている。そしてこの理論は検証が可能なので、今後理論の予言が実験で確かめられるにつれ、理論体系の正しさを疑う余地はなくなるだろう──。若き俊才らしい希望と陶酔のにじむこの回答が、質問者を満足させたとは思えない。理論を牽引すべき若者と問いの重さを分かち合えず、この時のアインシュタインはハイゼンベルクに、はがゆさと苛立ちを感じたかもしれない。

詳しい経緯は省略して大掴みに言えば、「多くの……重要な疑問」はその後の1930年代からほぼ半世紀ものあいだ、物理学の世界で“お蔵入り”に近い扱いを受けることになった。のちにその認識に変革をもたらすことになるジョン・ベルの論文が1964年に世に出たときも、それはたった4号で廃刊になったほど知名度が低い雑誌の、創刊まもない号に発表されていたという[Foreword by Alain Aspect, in Nicolas Gisin, Quantum Chance, p. v]。ベルの論文が出てからさらに10年を経た1974年の状況について、アラン・アスペはこんなふうに書いている──アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンが提示した問題(EPR)は少数の物理学者に知られていたが、まだベルの不等式を知る者は稀で、量子力学の基本概念に関する疑問を真剣にとりあげようとする者はほとんどいなかった[出典は同上]。

しかし80年代以降は、ベルの論文に端を発して生まれた、量子論の基礎を掘り下げようという新たな気運と、ミクロな粒子を扱う実験技術の進歩が結びついて、量子論の未解決問題に挑戦する優れた実験が次々登場する。たとえば、ある実験は「光子は自分自身としか干渉しない」というディラックの驚くべき見解を実証し、ベルの不等式の検証実験では、私たちの物理的世界観の基本である「局所的実在」という観念が崩された。

『量子論が試されるとき』で知ることができるのはそうした、いずれも創意に富み、目を瞠るような実験の数々だ。2012年にノーベル物理学賞を受賞したアロシュやワインランドの研究の面白さも、本書を読むととてもよくわかる。どの実験も一つの研究室が独力で行える規模でありながら、いわゆる“大規模プロジェクト”に勝るとも劣らず根本的なビッグ・クエスチョンに挑んでいる。門外漢ながら胸のすく思いがする。

それでは、量子力学はそれらの現代的な実験が課した試練を無事にくぐりぬけたのだろうか? 『量子論が試されるとき』という題の本だから、それについては本のセールスマンはイエス/ノーで明かさずに……ただ、本書を閉じたあとは上記のアインシュタインの問いがグサリと刺さるだけでなく、じつはハイゼンベルクの回答にも脱帽したくなるとだけ書いておこう。