みすず書房

アレックス・ロス『これを聴け』

柿沼敏江訳

2015.10.09

「音楽について書くのはとりわけ難しいことではない。『音楽について書くのは、建築について踊るのに似ている』という警句を誰が言ったにせよ、その人は問題を分かりにくくしただけだ」。アレックス・ロスは本書の「はしがき」をこんな風に書き出した。一方、数年前に小社で音楽評論集を出したエドワード・サイードはこう言っている。「音楽は、さまざまな芸術のなかで最も無言のものでありながら、最もまっすぐにうったえかけ、まっすぐに表現することができる。しかも最も閉ざされた分野であり、最も論じにくい分野でもある」。

いったいどっちなのか。音楽について書くのは難しいのかそうではないのか。しかしサイードが音楽について書いたものは、「論じにくさ」を感じている人の文章にはとても思えないし、ロスはこうも書いている。「たしかに音楽批評は奇妙でいかがわしい分野であって[……]しかし音楽批評は、他の分野の批評に比べて突出していかがわしいわけではない。[……]では、音楽には何かとくべつ言い表しにくいものがある、という考えはなぜ定着したのだろう。その説明は、音楽にあるのではなく、私たち自身のなかにある」。これはなかなか重要な指摘なのではないかと思う。

小社で本を出したという以外にこの二人には、本格的に音楽家を志したことがあるという共通点がある。サイードはピアノで、ロスは作曲で。こうした経歴は両人の、とくにロスの文章に色濃く反映されているように思う。「音楽について書くのはとりわけ難しいことではない」と彼は言っているが、その文章の屋台骨にはきちんとした音楽の訓練があるわけで、レベルの高いものを書くのは当然難しい。「先入観なしに音楽を聴けない批評家のばあいにはっきりいえるのは、最良のときでも彼らは作品について“正しい”解釈という考えを捏造することである」とバレンボイムが辛辣にあげつらう、悪い評論の見本のようになる危険もあるし、そうした評論は読み手にまさに「いかがわしい」という印象を与え、音楽について書くことの不可能性という考えを助長する。読み手にも書き手にもある「音楽について書くのは難しい」という先入観がつくる悪循環を、ロスは強靭な耳と知力と一種の「軽やか」さで断とうとしている。

ジャンルにとらわれない彼の姿勢はまさに軽やかだ。もうひとつ印象深いのは次のようなくだりである。「私は自分が音楽について書くときに、芸術なるものの神秘性をある程度とり除き、ごまかしをぬぐい去る一方で、芸術に生命を与える計り知れないほどの人間の複雑さを、なおも尊重しようと思っている」「要するに私は、自己充足的な世界としてではなく、世界を知る方法として音楽にアプローチしている」。こんな風に素直に書けるのも、一種の軽やかさという気がする。

以上のロスの文章はすべて「はしがき」から引いた。本題に入る前の短い文章だが、彼のエッセンスはこの「音楽評論・論」的な一文にかいま見える。ぜひ読み飛ばさずに、ここからページを繰っていただければ嬉しい。

ところで、『これを聴け』というタイトルはいかにも押しつけがましく、「軽やか」の対極ではないかと思われるかもしれないが、本書は「これを聴け!」といって独断で選んだ名盤を押し売りするものではない。タイトルの意味について、今回は著者による解説らしきものはない(前著のタイトルについてはを参照)のだが、「はしがき」につづく表題作にヒントがあるので読み進められたい。