みすず書房

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外岡秀俊『アジアへ』

傍観者からの手紙 2

〈パソコンや携帯電話とは違って、人間の脳には、時差や地理上の偏倚をその移動に合わせて自動的に調整する働きがあるようです。東京にいると、あたかも無条件の与件のように世界の中心軸がそこにあるという錯覚が働き、そこから見える情報がただ一つの普遍的な像であるかのように思えます。情報の位相が限られ、外部の見方や情報が選別されて、同じ次元の情報が閉鎖空間で循環したり、増幅されたりしがちです。そこでは、情報の「氾濫」ではなく、情報の「欠乏」こそが問題なのですが、実際に人々が感じているのは常に情報の「飽食感」ではないでしょうか〉
(本書の一編「アジアへの架橋」より)

そして著者は次のように言う。〈ここ香港にいると、アジアの地図が日本とは違って見えます。台湾は飛行機で一時間、沖縄とハノイは同じ二時間圏にあります。上海はバンコクとほぼ同じで、東京はデリーと同じ距離感覚です。その中心軸の微妙なずれは、東京にいた頃にはなかなか気づかない偏差でした〉

『傍観者からの手紙 FROM LONDON 2003-2005』(2005年刊)につづき同名の『みすず』誌連載をまとめた本書のタイトルについて著者と相談したとき、著者は即座に、「〈アジアへ〉はどうでしょう。〈傍観者からの手紙2〉は副題にして」と言われた。たしかに、本書は、後半になればなるほど、アジアが話題の中心になっている。しかし、それは、著者が現在、香港を拠点に活動しているからではなく、はるか以前からの著者の課題であった。

ニューヨーク特派員時代にも、ロンドンでのヨーロッパ総局長時代にも、朝日新聞東京本社編集局長の役職にあったときにも、著者はつねにアジア、より正確にいうなら、東アジアの象徴的な場である「沖縄」に目を向けてきた。本書の「あとがき」にもあるように、著者はそこから日本の「逝きし世」と「来たるべき世」に思いを馳せ、ジャーナリストとしての使命の一翼を担おうとしてきたのだろう。

そのさい、著者の独自性は、「傍観者」という言葉、および冒頭の引用によくあらわれている。著者は決して一つの場に根づこうとはしない。沖縄に、東京に、香港にとどまるのではなく、つねに移動をくり返しながら、世界を、アジアを、沖縄を、「アジアからみえる日本」を注視する。時空間を自由に動き回ることをばねにして、現在の具体的な課題に直面していくその姿勢――、その鮮やかな手つきをぜひ本書でご堪能ください。




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