みすず書房

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『ゾミア――脱国家の世界史』に至る着想のプロセス

2023年5月19日

J・C・スコットによるグローバル・ヒストリーの古典『ゾミア』が、人気YouTube・Podcast番組「ゆる言語学ラジオ」で紹介されました。

いまふたたび話題の本書について、邦訳刊行時に著者が語った、監訳者の佐藤仁氏によるインタビュー記事を特別ウェブ公開いたします。
(初出『みすず』2013年10月号、抄録)

地域研究のアイデア

『ゾミア 脱国家の世界史』に至る着想のプロセス

ジェームズ・C・スコット
聞き手 佐藤仁

東南アジア山岳部の諸民族と国家とのかかわりを山の民の視点から詳述した『ゾミア』。著者のジェームズ・C・スコットに、政治学、文化人類学などについての学問観や、原書の出版に至るこれまでの歩みを聞いた。

「ビルマがどこにあるか知りませんでした」

佐藤 長年にわたって無政府主義や「階層制度や政治機構が存在しない状況での社会秩序」に関心を持っていらっしゃいますが、どういうきっかけからなのですか?

スコット 若いころから民族解放の戦争に興味を持っていました。正確に言うと、農民運動や百姓一揆といった下層から生まれる社会運動ですね。指導を必要としながら指導者層が存在しない運動。官製のフォーマルな組織に頼らずに社会的ネットワークを通じて自治体を成り立たせていく人々の能力に感銘を受けていました。

もう13年ほど前になりますが、比較政治学の授業を教えたことがあります。歴史上の社会運動を語る自分の声を聞きながら、「無政府主義者が言いそうなことを言うじゃないか!」と我ながら思わされたのです。そういうことがあまりに頻繁に起こったので、私は自分なりの見解がはっきりしている無政府主義を授業で教えようと思いました。クロポトキン、ブルードン、マラテスタといった学者が書いた古典を独学で読み進めましたが、結局、充分には読みこなせませんでした。

佐藤 では、国家を批評の対象とされるようになったいきさつは何だったのでしょう? なぜ「国家」の研究が際立って重要になったのですか? その下地は『弱者の武器』1の執筆中に培われたのでしょうか?

スコット 私は民族解放の時代に学び、セク・トゥーレ、エンクルマ、ホーチミン、毛沢東に胸を熱くした世代です。しかし、ボリシェヴィキ革命やフランス革命について読んでみると、いずれの革命も、もともと存在した国家よりもかえって人民に対して圧政的になったことを知り、幻滅しました。ボリシェヴィキはスターリンを生み、フランス革命はナポレオンを育て、中国の革命は大躍進運動と毛沢東の暴力行為に至った、といった具合に。無政府主義者としての私の共産主義に対する批判は、共産主義は国家中心主義であり、元の国家よりたちの悪い、強力な統率管理国家を産む、というものです。1998年に出版した『国家のまなざし』2では、国家がいかに自己の利益を目的に社会を改変しようとしたか、なぜ人民の生活の改善をうたった努力がむくわれなかったかを解釈しようとしました。

佐藤 もともとどのようなきっかけで東南アジアに関心を持たれたのですか?

スコット 実を言うと、恥ずかしながら、東南アジアには初めは少しも興味を持っていませんでした。大学時代、私は第二次世界大戦のドイツの戦時動員体制について卒業論文を書いていました。教授の提案でこの課題を選んだのです。でも、ウィリアムズ大学の奨学生だった私は未熟であり、最初の3年間は死に物狂いでがんばりましたが、4年目は全く気を抜いてしまいました。ある日教授に論文の進捗状況をきかれて、研究内容を誇張しようとしたのですが、たちまち何もやっていなかったことを見抜かれ、研究室から追い出されてしまいました。優等生の資格がほしかった私は、それをくれる経済学部の研究室にこだわり、今度はインドネシアの研究を行っていたホリンガー・ウィリアム教授を訪ねました。すると教授が「ずっと前からビルマの経済発展に関心を持っていたので、もし君がビルマの経済発展に関して研究するのなら、受け入れよう」とおっしゃるのです。「よろしくお願いします!」と即答しました。しかし、実はその当時の私はビルマが世界のどこに存在するのかさえ知らなかったのです。

佐藤 まだ駆け出しのころの研究から今回の『ゾミア』の出版に至る過程をどうお考えですか? 『ゾミア』のアイデアの種は始めのころからあったのでしょうか。

スコット これは少し恥ずかしいのですが、私は研究と執筆に対しては単純に、とにかく面白いものを追っていくという志向性に従っています。過去の研究との関係にかかわらず、面白そうで夢中になれるトピックに惹かれます。例えば、いま教えている授業では川について扱っています。私の過去の研究を知る人にとっては私が川について教えるのはかなり予想外でしょう。自分のやってきた仕事に特に一貫性があるとは思っていないので、私の研究がこれまでどういうふうに展開してきたか、お答えできないのです。これはあくまで本人の視点からの判断に過ぎませんが。しかし、私の研究の一貫性について私自身が気付いていなかったことを明らかにしてくれた人もいます。人類学者のクリフォード・ギアツは私が憧れる研究者の一人ですが、ギアツは『弱者の武器』と『モーラル・エコノミー』3を続けて読んで、「君の研究は、私のよりはるかに首尾一貫しているな」と言ってくれました。私自身は自分の仕事が首尾一貫していると思っていなかったのですが、ギアツはそれぞれの研究が相補的だと褒めてくれたのです。

『弱者の武器』と『モーラル・エコノミー』はどちらも東南アジアが舞台の本でした。『弱者の武器』は唯一、人類学的なフィールドワークを取りいれた本です。そして、論争を誘発しようと『支配と抵抗の技術』4を書いたり、東南アジアとはあまり関係ない『国家のまなざし』を書いて研究対象を広げました。この『ゾミア』でやっと東南アジアに戻ってきた思いです。私は学生時代に人類学や歴史学の勉強をたいしてしなかったので、昔から東南アジア研究者としての未熟さを自覚していました。この本を出版できたことで、私もついに一人前の東南アジア研究者になれたのではないかと思っているのです。

9年前、東南アジア入門コースを大学院生に教えたのですが、その時に私はこう提案しました。「本棚には置いてあるものの、恥ずかしながら実は読んでいない本を片っ端から読んでいこう」と。そこでケンブリッジ大学出版局の『東南アジア史』全2巻、アンソニー・リード、D・G・E・ホールといった東南アジアについての古典をひたすら読みました。これで東南アジア研究の正規メンバーにやっと加わることができたと安堵したわけです。

佐藤 すでに立派な経歴を持ったスコット先生ほどの学者が、研究対象を拡張していく過程でかつて読み損ねた本をわざわざ手にとって精読するとはすこし驚きです。

スコット 後ろめたさを感じているのは、私だけではないでしょう。大半の学者は自分をぺてん師のような者だと思っています。実のところそんなに知っているわけではなく、いずれ化けの皮がはがされてしまうかも、と恐れている。私の化けの皮はまだはがされていないようですが、これも時間の問題でしょう(笑)。

「文明はなぜ山を登れないか」

佐藤 『ゾミア』について話したいと思います。まずこの本のタイトル(原題 The Art of Not Being Governedはどういうふうにして思いつかれたのですか?

スコット タイトルはウィスコンシン大学のクラウズナー教授が教えている講義の題目から借りたものです。しかしこのタイトルを選ぶにあたっては、フェルナン・ブローデルの『地中海』を意識していました。『地中海』の第2章でブローデルは、文化と文明は平坦地を移動することはできるが、山を登ることはできないと述べています。つまり、山岳部と平坦地を比べると、そこには文化の違いがあるというのです。文明はおよそ標高500メートルを境に、山を登れなかったと彼は言いました。彼の指摘をさらに的確にするために、私は「文明」の代わりに「国家」という言葉を使ったわけです。

本が出版される前、この研究について話をする時には「文明はなぜ山を登れないか」と少しおどけたタイトルをつけていました。しかし私の本の主張は、文明には山登りができないという点ではなく、人々は国家から逃げるために山を登る、という点にあるわけです。

佐藤 『ゾミア』に対して、今までに受けたいちばん厳しい批判は何でしょうか? そして、それに対しどう反論されましたか? 例えば、先生の「国家」の取り扱いはあまりにも一面的ではないかという批判があります。私はタイ西部のカレン村をフィールドワークしたことがありますが、その経験からして、農民の日常生活の工夫(竹の小屋、移動耕作)は国家に対する村人の戦略というより、(豊かな土地、取り扱いの簡単な竹などの)与えられた環境の中でいちばん楽な(つまり労働を最小化する)方法が選ばれているだけのことではないのかと感じます。国家を創り上げている人々は、国境地帯や豊かな森林に住む山岳部族が政治的にも経済的にも重要な存在であることをある程度は知っていたでしょう。タイの国家は山地民に対して国の法をただ単に強制するわけではなく、徴税や徴兵を免除したこともしばしばありました。もちろん、『ゾミア』が対象とする時代は第二次世界大戦以前なので、私の指摘が的外れと言われればそれまでかもしれません。しかし、山地民の生活手段のすべてを国家に対する戦略としてまとめてしまうのは、あまりにも単純化のしすぎではないでしょうか。

スコット その通りです。私は『ゾミア』の中で何度か「戦略的な選択」という言葉を使いましたが、そのおかげで、山地民は代表委員会のようなものを持っていて、そこで政策が決定されると私が主張していると思っている人がいるようです。私が言いたいのはそうではなく、非常に長い目で見た時に全体的な傾向として、人々は山地に位置取りをし、農業技術や作物を選択することによって、政府による収奪に抵抗する手段を見つけてきたということです。

ですから山地民は、北タイに限らず、国家の圧力に対抗して、焼畑と水稲栽培の様々な形態の中から状況に適切なものをその時々に選んできたので、生活形態も揺れ動いてきたわけです。場所によっては水稲栽培より焼畑のほうが楽なことは間違いありません。北ベトナムのハニやカチン州の人々のように、山地に精巧な棚田を作る山地民もいます。つまり、山奥でも水稲栽培は可能なのです。

私にとって受け入れがたいのは、生業手段や居住地の選択は単に環境や経済的条件によって決定された、もしくはいちばん楽で、労力を要しない選択肢が選ばれた、という考えです。もちろん、広い土地では焼畑がしばしば最も効率の良い農耕方法であることは確かですが、私が明らかにしたかったのは、生業選択の背後には政治的な動機があったということです。

私の分析を1945年以後の時期に無理やり適用して、その結果を基に批判する人々もいます。この本ではずいぶんと大風呂敷を広げてしまいましたが、この議論が1945年以降に当てはまる地域は限られています。またもうひとつ注意してほしいことは、近代国家が登場する以前の時代に山地には人がいなかったなどと私は言っていません。これは世界中の山岳地帯にあてはまるわけではないですが、数百年前まで山地の人口密度は低かったということは言えます。条件の良い土地から追い出されて、国家から逃れようとした人々は山を登ったわけです。

佐藤 「文明」と人々の「自由」との間にはどのような繋がりがあると思われますか? 例えば長生きができるかどうかといった生活の質は、国家と市場の規格化により生活様式の選択肢の幅を狭めながら向上してきたと言えます。御承知のように、今では途上国においてさえある程度の生活を送ろうとすれば高校教育を受けなくてはならない。『ゾミア』の主張をなぞるとすれば、人々は「発展」の結果として、量的自由を得た代わりに様々な生き方を選ぶことのできる質的な自由を犠牲にしたと言えると思います。

スコット それについてはいくつか言いたいことがあります。まず言いたいのは、国民の生活の向上に国家が取り組み、それを自己の役割と思い始めたのはかなり最近のことだということです。イアン・ハッキングの見事な研究によれば、これは18世紀に現れた現象です。つまり、国家の役割とは開発であり、教育、公衆衛生、福祉を改善する義務と責任がある、という考えが生まれたのは、世界のどこでもせいぜい1、2世紀ほど前のことにすぎません。確かに今日、辺鄙な山地帯に住むということは、社会の周辺に位置することを意味し、教育から抗生物質まで多くの文明の利点を犠牲にすることになるでしょう。

しかしここで忘れてはいけないのは、少なくとも西洋においては、19世紀半ばになるまで、都市が人口を保ってゆくことは不可能だったという点です。都市の死亡率は非常に高かったのです。上水や下水などの衛生設備が発達するまで、地方から健康な農民を吸収していく以外、都市の人口を増やす術はありませんでした。市街地は非常に不衛生な場所であり、市民の生活を改善してゆくことは国家の仕事ではありませんでした。

今日、周縁に住む人々は最も劣悪な土地に押しこめられていると言えるでしょう。そして、運がよければ、国家は彼らに「開発」を通じて様々な機会を与えてくれます。しかし、こうした動きは非常に最近の出来事です。

最近、ギリシアで講演を2度行いました。最初の講演のテーマは、私が「新石器時代後期の再定住キャンプ」と呼ぶ時期の家畜化と栽培化についてでした。「野蛮人の黄金時代」と題した2つ目の講演は、国家が弱く、人口の大半が国家の外に居住していた時代についてです。人々は簡単に国家の領域から出たり戻ったりでき、低地国家と自由に物々交換をしていました。国家を襲い、略奪することもありました。低地民と贅沢品を交換しながらも、税を払わなくてよかったので、低地のおいしいところを独り占めしていたわけです。

興味深いのは、カリマンタン島やボルネオ島では中国との贅沢品の取引がすでに7、8世紀に始まっていたことです。つまり、この人たちは自給自足する狩猟採集民だったのではなく、狩猟採集する交易民だったわけです。オーストロネシア人がボルネオ島に移住したのは、そこが自給自足に適していたからではなく、実は商業をするのに有利だったからではないかと指摘されています。

この時期の国家とは、交易もできるし、また襲って略奪することもできた。つまり野蛮人として生きるほうが良かったわけです。そんな時代は1500年ころまで続いたと考えています。

佐藤 しかし「より良かった」とは、何が基準になっているのでしょう? 「自由」ということですか?

スコット 「自由」と言ってもいいでしょう。しかしそれだけではないという点を強調したいのです。当時の狩猟採集民の骨格を農耕社会の農民たちと比べると、明らかに骨は大きく、背が高く、病気の痕跡が少ないわけです。つまり健康、暮らしぶりの良さ、長寿を求めるのであれば、穀物社会の外に住むべきだったということなのです。多数の人間や家畜を狭い居住地に詰め込むと、現代の鳥インフルエンザのような新しい病気が発生するわけですが、このような病気はまばらに居住している狩猟採集民社会では起こりません。いわゆる「新世界」の人口の95パーセントが死亡したのは、「旧世界」の病気と接触したからです。

「発表時間は7分で充分です」

佐藤 私は1998年に1年間イェール大学へ留学した時、先生の講義要項(シラバス)にイラストが多く盛り込んであるのを見て驚きました。農具のイラストでしたが、大学で配布される最もシリアスな文書に遊び心をのぞかせることができるなんて思いもしませんでした! もうひとつ感心した点は先生が運営されている農村研究セミナーでの報告者の発表時間がたった5分しかなかったことです。これらは、アイデアを上手く伝える工夫としてあみだされた先生のテクニックのほんの一部だと思います。過去のインタビューで先生は、論文よりも本を書くことの重要性を述べたことがありますね。出版や講義の面で、先生のコミュニケーション・スタイルはどう発達してきましたか?

スコット まずシラバスの話ですが、さきほども言ったように私は「おもしろ主義」者なのです。シラバスにイラストを入れるというアイデア自体が単純に好きなのですよ。授業の終わりに詩のコンペも行います。私が農民詩人の作品を2、3編読み上げ、その詩人の名を言い当てられたら私がランチをおごる仕組みです。もちろん、今はもうグーグルによってコンペの意味はなくなってしまいましたが。要するに、私はユーモアや面白いことが好きで、それを抑えることができないのです。

情報や知識を伝える方法として、学会ほどつまらないやり方はないでしょう。Aさんが25分、Bさんが25分、Cさんが25分発表します。そしてそのあと、Dさんが20分コメントし、ようやくフロアの聴衆に質問の順番が回ってくる仕組みですね。聴衆のほうに発表者より優れた人が多く紛れ込んでいることはよくあるわけですが、彼らにはせいぜい5分ほどしか与えられず、1つか2つの質問しかさせてもらえません。

面白い発想であるのならば、7分間で充分発表できるはずです。私ならこう言うでしょう。「7分間で論点を明らかにしてください。その後すぐ議論に入ります」と。1冊の本について話す時でさえ、論点は2つか3つのセンテンスでまとめられるはずです。「あなたの最も主要なアイデアを教えてください」と。今日、学界は極度に専門化されてしまい、「針の先で天使は何人踊れるか」といった問いを延々と論じた中世のスコラ哲学のような議論が多くなってしまいました。これは破綻的な状況です。

こういう状況を打開するには、外部から「それは本当に面白いことなのか?」と疑問を投げかけてくれる存在が必要です。私の運営している農村研究セミナーでは、各トピックの専門家は討論者に選ばれません。というのも、専門家は専門家同士の会話に終始してしまうからです。

独創性はどこから来るのか?

佐藤 私を含む多数の学者たちは先生のような考え方をしたいのですが、どうやればいいのかわかりません。経済学者のアルバート・ハーシュマンに対しても同じような憧れを感じます。私がプリンストン大学を訪問した時、彼が1970年代にハーヴァード大学で教えていた当時のシラバスを見つけました。ずっと前からそれがどんなものか見たかったのです。彼のすばらしい学際的な思考の鍵を明かしてくれる秘密、機知に富んだ小説のような特色のある何かを期待していました。期待とは裏腹に、文献目録はかなり月並みなもので、試験内容はほとんど「ラテン・アメリカの国々を人口順に整列せよ」など事実を問う質問ばかりでした。私が期待していた面白いどんでん返しのひとかけらもなかったのです。ここで学んでおくべきことは素晴らしい学者になる近道はないということかもしれません。つまり大切なのは、他の人たちがどういうことを行っているのかを熟知しつつ、同時に自分の独自性を保つことなのかもしれません。ですが、他人の考えについて読めば読むほど志向の独立を維持しにくくなります。先生もこういうジレンマを感じることはありますか? 先生はどうやって独創性の源泉を保っているのですか?

スコット 教える立場にある者としては、いま自分が研究していることと来年教えたいことの2つの方向に引っ張られるのだと思います。教えるのがいちばん簡単なのは、すでに教えたことがあって、内容をよく知っていて、準備に時間がかからないことですね。ですが、このような授業を頻繁にすると教えるほうが飽きてしまいますし、教員にやる気がないことを生徒たちにも気づかれてしまいます。おそらく私のコースでいちばん面白いのは、私自身にとってそのトピックが新鮮な時でしょう。私自身が学生とともに文献を読んで、発見していく時です。

たとえば、河川についてのゼミを始めた最初の2、3年、私自身が知らないことが多いので、どんどん新しいアイデアが湧いてくるのです。たいてい馬鹿げたアイデアなのですが、私自身反応を知りたいので、学生の言うことを熱心に聞くのです。大切なことはそうやって私の意気込みが学生に伝わるということです。私自身がよく知らないことなので、実はそれほど教えているわけではないのです。大切なことは、新しいことを発見して喜ぶと同時に、まだ知らないことに対して開かれた心を持つことでしょう。

大学院生の時に政治学のロバート・ダールのコースではこんなことがありました。ダールは実際にあれこれあまり教えることはありませんでした。その代わり、こんな課題を与えるのです。「今から振り返ると明らかに愚かであった決断を歴史の中から見つけ、そのような決断にいたった過程を説明せよ」。これはすばらしい課題です。彼は教育への熱意に溢れていました。

私は批判的な人間です。例えば、政治学という学問のあり方をさんざん批判していますし、私が勤めるイェール大学のシンガポールキャンパス開校も批判しています。それだからこそ自分に言い聞かせるのです。文句や不平ばかり言っていないで、なにか建設的なことをしろ、と。そこで、「シンガポールではなくパレスチナでキャンパスを開こう」とか「新しいアイデアを産む創造的なワークショップを企画しよう」などと提案しています。このワークショップの企画書はもう書いてあるんですよ。新しいアイデアを温め、発展させることを目的としたワークショップです。われわれ学者の仕事は、とにかく毎日アイデアを産み出していくことでしょう。大半が馬鹿げていて使いものにならないのですが、鍵はどのアイデアが良くてどれが駄目かを見極めることです。この実験的セミナーは、アイデアに潜在する可能性を発見することを目的とします。学生たちは普段アイデアをどう批判、批評するかを教え込まれているわけですが、このワークショップではアイデアの優れた点を見いだして、どう発展させていけるかを探るのです。テストするのではなく、アイデアを育てるために議論をします。

佐藤 先生はアイデアの発展に対し、しばしば小説や詩のような学問的ではない文芸を読む大切さを強調されます。トルストイの『戦争と平和』も授業用の課題文献に入っていますね。私が自分の授業に使い、特に好んでいるのはアメリカの作家T・ワイルダーが書いた『サン・ルイ・レイの橋』という小説です。18世紀ペルーを舞台に、つり橋が落下して亡くなった人々の人生を辿った話です。この事故を目撃したあるフランシスコ会の修道士が、もしこの犠牲に神の意志があるのなら、犠牲者たちの人生のどこかにその理由を見つけられるはずだと考えるのです。私はこの本から事例調査とはどんなものなのかを学びました。このような作品は、われわれが扱う人々が個人的な苦しみや夢、野心を持っていながら、個々の文脈に応じて行動をとっていることを思い出させてくれます。コンテクストが重要である、という強いメッセージを与えてくれるのです。しかし、社会科学は個々の文脈に左右されない「平均的」「一般的」な主張をする傾向があります。文脈を軽視したり、無視することさえあります。先生は研究でこの2つをどう上手く繋げるのですか? あるいは、そもそも繋げる必要があるのでしょうか?

スコット 確かに社会科学は人間の行為をとても薄っぺらなものとして扱う傾向があります。問題は、正確にどの程度薄められているかという点にあります。あまりにも薄いと、予測に役立たなくなってしまいます。

私が出版した中でいちばん示唆に富んでいるのは、フィールド調査を基にした『弱者の武器』でしょう。そこでは対象を広げて、何千人もの市民が軍隊から脱走したり、脱税したり、仕事を怠けたりするといった「日常的な抵抗」は、長い年月をかけて国家体制を崩すことができる、と主張しました。社会科学者として、私はどうしても視野をできるだけ広くとって、物事を大局的な観点から理解したくなるのです。

もうひとつ具体的に言いましょう。『ゾミア』の中心は、東南アジアの山岳地帯です。しかし重要なことは「ゾミア」は世界中にいくつもあるという点です。例えば、アフリカの一部にも似た地域を見つけることができます。またインド洋と大西洋に広がっていた奴隷貿易ネットワークの外に逃げた人々が集まった地帯もあります。いずれはアフリカ、ラテン・アメリカ、中央ヨーロッパでも「ゾミア」を見つけたいと思っています。この本が、他の地域の研究をしている学者たちにも役立てばとても幸いです。

佐藤 特定の文脈から大局的な観点へ、そしてまた具体的な文脈へと往復することが大切ですね。

スコット 私の読んでいる本の半分は小説や歴史や詩です。ずっと政治学の文献ばかり読むことはできません。閃きは外から来るものだと思うのです。主流の政治学の論文ばかり読んでいたら、主流の政治学の文献を再生産することしかできないでしょう。小説や文化人類学の研究書など、なるべくいろいろな種類の本を読もうとしています。一見すると何の繋がりもないような文献を読むと、本と本の繋がりが見えて一つの本が他の本の理解に光を投じることがあります。これが広範囲にわたる読書をすることの利点です。
(以下略)

  • 本インタビューは2011年6月にスコット教授の自宅で行われた。本人の校閲を受けたこの文章は、英語の元原稿を日本語に翻訳したものである。インタビューの一部は削除している。インタビューの段取りや録音については内藤大輔氏(総合地球環境学研究所)、テープ起こしの作業ではトール・ディナ氏(東京大学大学院新領域創成科学研究科)、下訳の作成と校閲は唐崎正義氏(東京大学大学院新領域創成科学研究科)、菊地由香氏(東京都庁)、および今村真央氏(ハーヴァード大学)を煩わせた。ここに記して感謝する。

  1. James C. Scott, Weapons of the Weak: Everyday Forms of Peasant Resistance, Yale University Press, 1985.
  2. James C. Scott, Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human Condition Have Failed, Yale University Press, 1998.
  3. 邦訳 スコット『モーラル・エコノミー 東南アジアの農民叛乱と生存維持』 高橋彰訳、勁草書房、1999年。
  4. James C. Scott, Domination and the Arts of Resistance: Hidden Transcripts, Yale University Press, 1990.