みすず書房

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『ミレナ 記事と手紙』

カフカから遠く離れて ミレナ・イェセンスカー 松下たえ子編訳

カフカの恋文の宛名人として、またマルガレーテ・ブーバー=ノイマンの『カフカの恋人 ミレナ』によって、「カフカの恋人」としてその名が知られることになったミレナ・イェセンスカーは、チェコ人のジャーナリストだった。

晩年のミレナとラーヴェンスブリュックの女子強制収容所で運命的な出会いを果たし、出会って1週間後に「ふたたび自由になったら、わたしたちは一緒に本を書きましょう」とミレナから提案されたブーバー=ノイマンは、ミレナが人と向き合うときの態度を、次のように回想している。
「ミレナは、自分の苦しみについては一言もいわなかった。わたしたちが出会ったときの彼女は、あらゆる点で、レポーターとしての情熱にみちあふれていた。わたしはミレナのように、ジャーナリストの仕事に徹している人間にその後出会ったことがない。ミレナは、話のひきだし方が上手だった。はじめの二言、三言で、もう相手に親しみを感じさせた。対話の相手にたいしてなんらかの役を演じてみせたり、あるいはまた仮面の背後にかくれたりといったようなことはけっしてない。ひとと話すときはいつでも、質問している相手に彼女自身を同化させることによって親密な雰囲気をつくりだした。ミレナは、感情移入の力にすばらしく恵まれていたのだ。(……)――ミレナの聞きだし方は、創造的行為そのものだった。」(『カフカの恋人 ミレナ』より)

本書には、両大戦下、ウィーンとプラハを拠点に活動したミレナが、内面の発展と時代状況の変化に呼応するようにテーマと媒体を変え、発表した記事が収められている。

ミレナの記事は、いわゆる新聞記事とは読み心地がちがっている。ハシェクやチャペックのような軽妙な風刺スタイルの伝統があるチェコにあっても、それは一風変わっていたようだ。文芸欄のような文体で人間味あふれる話題・題材を――それがミレナのスタイルだった。例えば「わたしの親友」と題された文章では、家政婦のコーラーさんが取り上げられる。
「コーラーさんとの付き合いで一番気分がいいのは、やることに規則性があるということです。何でも、一分たりとも狂うことなく、言われたよりも一時間遅れてやってくるということは、絶対に信じてよいのです。こういう風に不動の原則にまでなると、これは本当によい特徴であるといえます。(…)わたしの靴下を、最低必要なだけ、つまり各季節ごとに一足、一年できっかり四足盗るのをよく知っています。わたしの砂糖壷から角砂糖が一度に五つ以上消えることはありません。冷蔵庫のバターのかたまりから切り取られるのは、いつも薄切り一切れだけですし(…)自分の要る分しか取らないし、多くは必要としません。」
けれども、読者はだんだんと知る、ミレナにとってコーラーさんは、自殺を試みた自分を生き返らせ、そばで乱暴な手つきでクネーデルを口に押し込み、涙を流して励まし慰めてくれた、「親友」でしかあり得ないことを。

ミレナの人生を辿り直してみると、ジャーナリストになった、というより、彼女の生きる姿勢そのものがジャーナリストだった、という感じがする。歯科医で強権的家長でブルジョワ趣味の父親への容赦のない、どうしようもない反抗ぶりは、周りからの影響というよりも生来の、常にものごとを批評的に捉え、自由を侵すものに敏感に反応し、ユーモアの欠けるものを嫌悪する気質からと思わせるし、文学カフェで顔を合わせたカフカの「誠実な男らしい顔、まっすぐに見つめる静かな眼」に心を奪われ、誰よりも早くカフカ文学の高貴さを見抜いてチェコ語に翻訳したその天才的な眼識は、直感的でさえある。本書巻末の編訳者松下たえ子氏による略伝は、そんな人間ミレナの資質と姿を浮き彫りにして、書かれたものの味わいを深めてくれる。

彼女が書き残したもの、そして生き方は、全身全霊で私たちに語りかけてくる――「生きているって、なんていいことなんだろう、なんてすばらしいことなんだろう」と。政治犯で連れてこられた強制収容所での悲痛な生活、そして死に捕らえられようとするときも、ミレナは新しい親友マルガレーテと出会っていた。ミレナは、きっと、自分の生き方に後悔なんてしていない。

 



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