みすず書房

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サル痘と疾病捜査官

2022年7月26日

WHOが感染症「サル痘」について、7月23日「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」にあたると発表しました。
この感染症について知りたいという方に向けて、2021年7月刊『疾病捜査官』のサル痘に関する記述箇所の一部を公開いたします。
著者のアリ・S・カーン氏は、米国CDCで国内外の感染症アウトブレイク封じ込めに長年従事してきた専門家。
本書では、以前ザイール(現・コンゴ民主共和国)や米国ウィスコンシン州で発生したサル痘のアウトブレイクに著者が対応したときの様子が記述されています。

『疾病捜査官』第四章より

私たち人間は、この惑星が自分たちの所有物であるかのようにふるまっているが、実際に物事を動かしているのは微生物や昆虫だ。感染症は、指揮官がだれなのかを私たちに気づかせるために彼らが用いる手段であり、それにはげっ歯類やコウモリなどの小型動物の力を借りることが多い。実際のところ、新興感染症の70パーセントから80パーセントは動物由来感染症だ。薬物耐性微生物による感染症などのその他の感染症は、完全に私たち自身が招いたものである。
だからといって、すべての微生物が悪者ではない。ワインやビール、チーズが発酵するのは微生物のおかげだ。私たちは微生物を、生物学的な生産工場や天然の殺虫剤としても利用してきた。私は微生物をとても尊敬している。微生物は35億歳で、全生物の90パーセントを占め、1日で30世代の増殖を繰り返すことができる。さらに、トランスポゾンやプラスミドを通じた有益な遺伝物質の交換によって急速に遺伝的進化を遂げるという、すばらしい芸当を身につけている。それと対照的なのが私たちだ。現代人は約20万歳で、1世代を生み出すのに25年かかり、遺伝的多様性は局在的な交配パターンで決まる。

もっと言えば、私たちは実は単一の生物ではなく、体内のヒトマイクロバイオームと分かちがたく結びついた、ミツバチの巣のような共同体だ。
ヒトの体には100兆個の細胞があり、その90パーセントは腸やその他の開口部、そして体の表面にいる微生物の細胞だ。こうした「乗客」である1万種類の微生物種が、ヒトの生態系を構成している。このマイクロバイオータ(微生物叢)との複雑な相互作用は、体を健康に保つのに重要な役割を果たしている。同時にマイクロバイオータは性感染症、肥満、消化器疾患、糖尿病、関節リウマチと関連があるとみなされている。私たちは以前から重症型の新生児消化管感染症の治療や抗生物質服用中の下痢の予防に、「良い」微生物、つまりプロバイオティクスを使っている。良い微生物を持つ健康なドナーからの糞便移植は、命にかかわる重症の大腸感染症の患者にとって治療の選択肢になっている。クロストリジウム・ディフィシル感染症と呼ばれるこの感染症は、抗生物質の使用による、腸内の良い微生物の機能の乱れに関係がある。そして幼少時の抗生物質服用が、成人後の肥満につながる可能性があるというデータが増えてきている。最近の研究では、マウス版の減量手術を受けて肥満体形から痩せ体形になったマウスの腸内細菌を食べさせることで、肥満体形のマウスを痩せさせることに成功している。痩せ型の人の糞便を肥満の人に移植して、肥満と腸内細菌の変化の関連を調べるという、物議をかもす研究もさっそく進められている。

天然痘とサル痘

私たちが人の多い都会から田舎に移住するように、微生物が新たな生態学的ニッチを探し求め、やがて悪者に姿を変えることもある。近代科学の出現以来、私たち人間はそうした微生物にかなり見事に反撃してきた。天然痘は、げっ歯類のウイルスから進化した可能性が最も高い。この感染症は人類にとって最大の苦難のひとつであり、明らかに人類の歴史の流れを変えてきた。その際だった例が、先住民が天然痘に免疫を持っていない新世界の植民地化である。しかし1980年、世界規模の取り組みの結果、天然痘が全世界で根絶されたと宣言された。根絶は確実と考えられたため、天然痘ワクチン接種プログラムが中止された。そうすることができたのは単に、天然痘ウイルスは、動物の自然宿主や保有宿主が存在せず、生存をヒト‐ヒト感染に全面的に頼っているという理由からだ。天然痘の最後のヒト宿主を発見して隔離する、あるいは未感染の人をワクチンで守ることで、そうしたヒト‐ヒト感染を防げれば、天然痘は絶滅したことになる。つまり、永遠に消えるということだ。例外として、複数の研究所が少量の天然痘ウイルスを生きた状態で保管しているが、当然ながらこれは別の話だ。一方で困ったことに、最近の合成生物学の進歩によって、世に言うマッドサイエンティストがよからぬ企みをすれば、すでに論文で公表されている遺伝子マップを利用して天然痘ウイルスを難なく再合成できるようになっている。
自然由来の天然痘ウイルスがもたらす危険は消えたものの、それによって空いた生態学的ニッチに、サル痘という、致死率は低いがやはりやっかいな感染症が入り込むのではないかという懸念があった。

1996年12月、当時CDC特殊病原体部の部長だった私のところに、ザイールでのエボラ出血熱アウトブレイク対応以来の友人である、WHOのデイビッド・ヘイマン博士から電話がかかってきた。ザイール中央部にある、互いに近い12の辺境の村で、サル痘のアウトブレイクが発生しているという知らせであり、デイビッドは私の助けを求めていた。
デイビッドはWHO事務総長から3週間分の調査費用として2万ドルを与えられていて、私にCDCや、ヨーロッパのEISにあたるヨーロッパ実地疫学プログラムから派遣される科学者のチームを指揮してほしいと考えていた。
サル痘は1958年に、神経学研究で使うために捕獲された実験用サル(カニクイザル)で初めて確認され、その名がつけられた。原因ウイルスは、ポックスウイルス科(イボ[伝染性軟属腫]のウイルスが含まれる)のオルソポックスウイルス属の動物由来ウイルスだ。天然痘ウイルスも同じオルソポックスウイルス属に含まれる。サル痘という名前だが、実際にはサルよりも、タイヨウリスや他のげっ歯類、特にサバンナアフリカオニネズミの間で広がっている。サル痘感染者は、1、2週間の潜伏期の後、皮膚がドーム型をした固い深在性病変に覆われる。この病変が天然痘によく似た小水疱や膿疱のようになる場合がある。幸い、サル痘はかなり珍しい病気だ。
ヒトのサル痘は、臨床的に見て天然痘(近縁である)や水痘(近縁ではない)と区別するのが難しいことがある。
動物を検査して、サル痘の抗体(免疫系が特定の侵入物に対して作用した後に残る明らかな痕跡)があるかどうか調べることができる。抗体が見つかれば、サル痘の宿主と思われる動物を見つけたことになる。

サル痘が1970年にヒトで初めて報告された後、この感染症が天然痘根絶キャンペーンに悪影響を与えるかどうかを確かめるため、集中的な監視活動がおこなわれた。それ以前の黄熱根絶キャンペーンが頓挫した理由のひとつは、黄熱ウイルスはジャングルに逃げ込んで、動物の体内で生存し続け、しばらくたってから再登場してヒトに感染できたからだ。15年間で、赤道付近のアフリカ中央部および西部で発生したサル痘患者は約400例にすぎず、ほとんどが熱帯雨林にかこまれた辺境の村で発生していた。そうした村の住民は、ブッシュミートを消費するなど、感染した動物との接触頻度が他の土地よりも高かった。そうした住民のメニューにはサルや他の野生動物が含まれているが、アフリカの人々はげっ歯類も食べる。サル痘の致死率は約10パーセントで(天然痘はもっと致死率が高く、30パーセント近い)、ヒトからヒトへの二次感染率もほぼ同じ程度だ。安全で、有効性が証明された治療法はない。
私たちにとって大事な疑問は、この大規模な新規クラスターが起こったことからみて、私たちのしたことは失敗だったのかということだ。つまり、天然痘ワクチンを中止したことで、サル痘という感染症に扉を開いていたのだろうか? そして、中央アフリカでのサル痘の流行を防ぐために、ワクチン接種を再開する必要があるだろうか? しかし、天然痘ワクチンは生ウイルスワクチンであり、健康な免疫系を持つ人々に免疫反応を引き起こすように作られている。そこで問題になるのが、HIV/AIDS(ヒト免疫不全ウイルス/後天性免疫不全症候群)が流行中だということだ。つまり、何十万人もいる免疫不全状態の人々には生ウイルスワクチンに対する防護機能がないので、集団予防接種を再開すれば最悪の事態になりかねない。病気になってから治療するより、予防するほうがよいのはもちろんだが、どこまでの犠牲を払うべきなのだろうか?

この疑問やその歴史が持つ重みは失われていない。20世紀末の時点で最大かつ継続中のパンデミックだったHIV/AIDSも、かつては動物由来感染症であり、新興感染症だった。ウイルス遺伝子の詳しい科学捜査から、1920年代のレオポルドヴィル(現在のキンシャサ)に起源があることがわかった。その時代以前に、おそらく血が付着したブッシュミートを扱っていた時に、近縁ウイルスであるチンパンジーの免疫不全ウイルスが種を越えてヒトに感染していたのだろう。レオポルドヴィルは通商貿易で急成長中の都市で、人口が急激に増加しつつあり、しっかりとした鉄道網のおかげで、毎年100万人がこの都市を通っていた。売買春も同じように急成長し、おそらく注射器の使い回しも増えただろう。そうした有害な条件がそろったことで、ウイルスが強まり、貿易や旅行のルートを通じてアフリカ大陸全体やその外の世界に伝播していった。アフリカでAIDSは「やせ(スリム)」病というわかりやすい名前で呼ばれていたにもかかわらず、それから60年間は独立した病気として認識されなかった。米国ではさらに、性をめぐる政治的態度からくる不適切な対応が重なった。現在、HIVはヒトの病原体としてすっかり定着しており、2013年には150万人が亡くなっている。


1997年2月、私は熱帯の楽園、キンシャサに戻った。前回訪れた1年半前から、この都市に少しも改善がみられないのには驚かなかった。いまだに混沌と腐敗がタッグを組み、何もかもが悪夢のような状態を保っていたし、内戦は悪化していただけだった。
WHOは、未開地に入り込んでしまえば車が使えるといって私たちを安心させたが、まずは保健大臣の許可を得る必要があった。大臣の側近たちは、私たちのチームにザイール人が何人か必要だと言いはった。それが日当稼ぎのためではないかという推測を私たちは捨てきれなかった。急に彼らの遠い親戚だとかおべっか使いみたいな面々が、ウイルス学や疫学の専門家を名乗り始めた。私たちは、彼らがそれまでタクシー運転手や店員として働いていた理由を問いただすことは慎んだ。この交渉がまとまったら、数あわせのための人たちだけでなく、本当に知識がある人たちがきちんと加わっていることをひたすら期待した。
最終的には、キンシャサ大学公衆衛生学部のオキトロンダ・セスピ博士や、保健省所属の人々を含めたすばらしいチームを作る幸運に恵まれた。私たちの仕事で重要になるのが、さまざまな種類のげっ歯類の血液を採取して、どの種類がサル痘ウイルスを保有しているかを突き止めることだった。そこで、デルフィ・メッシンガーという現地在住の動物学者が動物の同定を助けてくれることになった。
しかし次に、飛行機を見つける必要があった。最初に見た飛行機はダクトテープでつなぎ合わせてあった。この表現は多少比喩的ではあるが、間違いなく、文字どおりの意味で翼から燃料が漏れていたのを私はおぼえている。パイロットは「ああ、心配するなって。離陸したらすぐに圧力がかかって漏れなくなるから」という調子だった。
私が「これに乗るのはやめましょう」と言っても、だれも反対しなかった。出発が遅れて時間を無駄にすることになったが、私たちは飛行機を探し続けた。
最終的に、標準的なタイプの双発プロペラ機を見つけて、キンシャサから東に約800キロメートル、サンクル自然保護区のすぐ南にあるロジャまで飛んだ。ここが私たちの出発点で、そこでランドクルーザーと大型トラックを借りる予定だった。といっても、バジェットとかエンタープライズみたいな大手レンタカーサービスにふらりと立ち寄って、クレジットカードを出して、お得意様ポイントを獲得するような話ではない。これはセルフサービスのレンタカーである。町でランドクルーザーを持っている人を見つけ出して、「1週間いくらで借りられますか」と交渉するのだ。計画をすべて自分たちで詰めなければならないし、もし道をそれて谷に入り込んだり、反乱勢力にAK-47(ソ連製の自動小銃)で狙撃されたりしても、それは自分たちの問題だ。保険料を払っておけば、万一の時に保証してくれる保険会社なんてない。
移動手段を確保し、食料と必需品も手に入ったところで、私たちは最終目的地に向けて出発した。ザイールのサル痘アウトブレイクの中心地、カイェンベ・クンビ地方のアクングラ村だ。

サル痘は、私のような立場の人間に次々と問題をもたらす、珍しい種類のウイルス性疾患だ。サル痘ウイルスは、エボラのように感染者の体液との直接接触だけでなく、インフルエンザのように空気中の飛沫によってもヒト‐ヒト感染を引き起こす。潜伏期は10日から14日で、初期症状にはリンパ腺の特有の腫れ(天然痘にはこの症状はみられない)、筋肉痛、頭痛、発熱、そして特有の発疹がある。発疹は通常、小胞形成、膿疱形成、臍形陥凹、かさぶた形成という4段階で進行する。一部の患者では初期病変が潰瘍化する。発疹や病変は頭部や胴体、四肢などに生じ、手のひらや足の裏にできることも多い。
しかし何よりもやっかいなのは、ヒトの間でサル痘ウイルスを根絶しても、ウイルスが消えるわけではないことだ。サル痘ウイルスは私たちなしでも問題なく生存でき、げっ歯類の保有宿主のなかで生きていくのだ。熱帯雨林の中で、ラットからラットへ、リスからリスへの感染が来る年も来る年も静かに起こり、私たちは散発的なヒトへの感染を別にすれば、その存在に気づかないだろう。そして突然、何の前触れもなしに、私たちは新たなヒトでのサル痘エピデミックを抱えることになる。それはいつでも起こりうるので、発生した時にはすでに備えができていなければならない。

アクングラの状況について私たちが不安視したのは、ヒトの患者数だけではなかった。患者をずっとたどっていくと、ときには感染者の連鎖を8人以上さかのぼれたことだ。これは、地下鉄の車両内でかぜがうつるのと同じぐらい容易に、サル痘がヒトからヒトへと簡単に広がっていることを示していた。私たちは、サル痘の感染プロセスについてすでに十分理解していたので、感染したげっ歯類と接触したヒトが病気にかかっていることは予想できていた。特に幼い子どもが感染するのは、ある程度の交差防御効果がある天然痘ワクチンを接種されたことがなく、縄わななどの簡素なわなで小動物を捕まえることで、狩猟の腕を磨いているからだ。私たちが予想していなかったことで、ひどく懸念したのは、サル痘ウイルスがヒトからヒトへ、さらに他のヒトへと広がり続けるその容易さであり、げっ歯類が介在する必要がないことだった。

(続きはA・S・カーン『疾病捜査官』熊谷玲美訳をごらんください。)


また、本書にご関心のある方は、こちらの「訳者あとがき」もあわせて是非ご一読ください。

靴を履きつぶし、事実を探し求め、手がかりをふるいにかける」疾病捜査官の仕事を愛するカーン氏は、アメリカ中西部でげっ歯類由来のサル痘アウトブレイクが発生したときには、現地調査のリーダーの身ながら、チームの指揮は部下に任せ、レンタカーに飛び乗って患者訪問を始めてしまう。そこには、CDCという組織の一員としてだけでなく、ひとりの公衆衛生専門家として、人々の健康を実現したいという思いが垣間見える。
(「訳者あとがき」より)

関連書より

天然痘が根絶された後、今度は、サル痘ウイルスの危険性が浮上した。このウイルスは牛痘ウイルスと非常に近縁で、その名前と異なり、リスなどの齧歯類が自然宿主である。
(山内一也『ウイルスの意味論』より)

(書影をクリックするとそれぞれ詳しいご紹介へリンクします)