みすず書房

トピックス

『一葉のポルトレ』

《大人の本棚》 小池昌代解説

『一葉のポルトレ』は、明治5年(1872年)に生まれ、明治29年(1896年)に逝った、樋口一葉(奈津)の家族や友人、同時代の文学者たちが彼女の面影を綴った「肖像(ポルトレ)」集である。
いくつか抜粋してご紹介したい。

「ともかく私共は教えるというより教えられるという方が多かったので、一寸若い叔母さんという感じがありました。落附いた中に鋭い処があって、世馴れたさっぱりした人でした。その作物ばかりでなく性質にも振舞にも確に人をチャームするところがありました」
(戸川秋骨「若い叔母さん」)

戸川秋骨は英文学者で随筆家。「文学界」同人で、仲間の平田禿木や馬場孤蝶らと共に一葉宅にしょっちゅう遊びにいっていた。一葉の日記には、来たらなかなか帰らない、秋骨のやんちゃ小僧ぶりが描かれている。

何人ものひとが言及しているが、一葉宅はとても居心地がよかったらしい。
その座持ちのよさは、毎日新聞記者で俳人であった岡野知十も書き留めている。年始の酔っぱらいを上手にあしらう一葉の姿が心に残ったようだ。

「歌よみのお嬢様とばかり想って居たのが、そのとりなしから言葉づかいがいかにも世馴れて垢ぬけがして居られたのがまず意外に思いました」
(岡野知十「一度見た事のある一葉女」)

もてなし上手というだけでなく、「寂しがり屋」という一面を明かすのは、一葉が代稽古をつとめていた、中島歌子の歌塾「萩の舎」の門弟であった疋田達子(評論家・戸川残花の娘)である。

「お夏さんはどんなに苦しい生活のときでも、お訪ねするとようこそようこそと心から喜んで迎えられ、家中探しても八十銭か五十銭しかないときでも夏なら氷水を、冬なら温かいもの、時分時になれば蕎麦などとってもてなされる人でした。寂しがっておられるところへちょうど行き合わせたりすると、涙を出さんばかりに喜ばれたものです。ほんとに人なつっこいところのある人でした」
(疋田達子「樋口一葉」)

友人たちが語る一葉の思い出を読むと、文学者・一葉というより、ひとりの女性「なっちゃん」が明治の日常を生きる姿や、母と妹との女三人所帯の慎ましい暮らしぶりが浮かびあがってくる。
一葉、いや、なっちゃんの家に遊びにいきたくなってしまうのだ。

小社の社屋は、樋口一葉が暮らした菊坂のすぐそばにある。その旧居跡、つまり「元なっちゃんの家」には今も一葉が使った井戸が残る。夏、窓を開け放って仕事をしていると、蚊がぶんぶん舞いこみ、一葉も刺されたんだろうなあとふと考える。

明治の「なっちゃんの家」に遊びにいくつもりで、本書を手にとっていただけたら大変うれしいです。

『女の二十四時間――ツヴァイク短篇選』

《大人の本棚》 辻・大久保訳 池内紀解説

昨夏の『チェスの話』につづいてシュテファン・ツヴァイクの短篇選『女の二十四時間』を、池内紀の解説でお届けいたします。




その他のトピックス