みすず書房

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『漱石文学が物語るもの』

高橋正雄

神経衰弱者への畏敬と癒し

「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。(……)もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったら宜しかろうと思うのです」

これは夏目漱石が1914年に学習院で行った「私の個人主義」という講演からの抜粋である。漱石はこの講演のなかで、天職ともいうべき仕事との出会いが、その人の自信や心理的な安定に深くかかわっていることを何度も強調したという。

『漱石文学が物語るもの』の著者・高橋正雄氏は、漱石研究という仕事に出会ったときのことをこの本のなかで回顧してくれている。 氏は突然にして腎炎を患い、入院生活を送ることとなった。精神科医として2年目の冬、1981年の年始のことである。 病床に漱石の作品を持ちこんで読みすすめていた高橋氏は、そこに精神障害者のさまざまな思いが巧みに表現されていることに気づき、そのときの感動を以下のように述べている。

「(……)この研究をすることこそが自分の天職であるという確信を得た。その時の全身が震えるような興奮と、今この瞬間から人生が変わるという啓示のような予感は、28年たった今でもはっきり覚えている」

退院した高橋氏は、それからというもの、漱石に関するあらゆる書籍・資料に目を通し、漱石文学と漱石自身の病いの関係性を探る論文をひたすらに書きつづけた。まさに寝ても醒めても漱石の日々であった。氏の学んできた精神医学が、まさか漱石研究と融合しようとは誰が予想しただろうか。

「啓示のような予感」から28年。高橋氏の研究は一冊の本になった。
「ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!」漱石研究に出会ったときの高橋氏は、そんな想いだったろうか。
この言葉を口にできる可能性は誰にでもある。人生にはどんな転機があるかわからない。氏が本書のなかに描いた、「病める者の尊さ」を説く漱石の姿は、忘れかけていた私たち自身の可能性をも思い出させてくれる。

 



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