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ペントランド『正直シグナル』
非言語コミュニケーションの科学
アレックス(サンディ)・ペントランド 柴田裕之訳 安西祐一郎監訳
俗に「空気を読む」などというときの空気とは何だろう? 言葉や表情も、意味だけでなく、物体(音、身体など)としての複雑な構造をもっている。それらが集積したときに立ち現われるメタ構造(たとえば発話の不安定さや大きなパターン)、あるいはメタメタ構造、メタメタメタ構造……が表出する情報のいっさいがっさいを集めた塊のことを、私たちは「雰囲気」だとか「空気」だとか呼んでいるのだ。3月22日刊行の『正直シグナル』が語るのは、その「空気」を見える化して人間同士のつながり方を根本から変えるという研究の現状である。“メタ”のモードは自分でも簡単にはコントロールできないので、そこには心の声があらわになってしまうらしい……だから、「正直なシグナル」と呼ばれる。
定性的には昔から調べられてきたテーマのはずなのに、定量的に扱われると、見える風景がまるで違ってくる。本書を読みはじめると、正直シグナルによる意思伝達の領域が想像以上に広大で、しかも今日までまったく手つかずだったことに、卒然と気づかされるのである。まるで現実のすぐ裏側に、隠れていた次元が発見されたような感じだ。この広大な処女地をもっと能動的に利用すれば、「ネットワーク・インテリジェンス」(社会的な頭脳)なるものを創り出せると、著者は大胆不敵に主張する。
「ビッグ・データ」といわれるような有象無象の膨大な情報を活用する技術の進歩が、こうした研究を初めて可能にしつつある。computational social science(計算社会科学)と呼ばれて注目を集めているそうだ。そう聞くとなんだかハードルが高くなるが、本書から受ける著者ペントランド博士のイメージは、奔放な構想力をもつ機械屋のおじさんといった風情である。誰も植えたことのない種、手に負えない豆の木が育つかもしれない種を恐れずに植えて、本物のイノベーションと物語を育ててしまう。
情報社会の未来を考えるうえで、正直シグナルの可視化というアイデアがひとつの核心を衝いているのは間違いない。けれども、研究はまだ粗削りな段階にある。科学の俎上に載せるために、社会関係という本来複雑なものを思いきり単純化して、正直シグナルの支配力やネットワーク・インテリジェンスの可能性について、まずは大筋の傾向を示したというところか。「世界の複雑さの全貌を、言語表現や数学モデルで正確に捉えることの難しさ」(本書145ページ)を、ほかの誰よりも知っているのはこの著者だろう。
だからこそ日本語版には、ちょっと専門的なデータもありのまま掲載している。理論からのずれやばらつきも含めた研究の水準を等身大でとらえないと、「解釈」だけが独り歩きしかねないからだ。認知科学は複雑な人間についての科学であり、ロケットが月へ行って戻ってくるのと同じ精度でおこなわれていると勘違いすべきではない。人間についての科学の話題になるとどうしても「解釈」が事実として広まりがちだけれど、ほんとうはいつもこうした生のデータのイメージをもっておきたい。
ちょっとブレーキをかけるようなことも書いたが、これぐらいで本書の意義は損なわれないはずだ。正直シグナルはもしかしたらパンドラの箱かもしれない。それだけに、日本語版の刊行が理系・文系を問わず幅広い分野の読者をインスパイアすることを願う。
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