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マハトマ・ガンディー

Mohandas Karamchand Gandhi

モーハンダス・カラムチャンド・ガンディーはインド西海岸の小藩王国の宰相の家に生れ、父の一徹な正義感と母の敬虔な信仰心の影響のもとで育った。13歳のとき、当時の風習に従って結婚、19歳でイギリスに留学、3年後弁護士の資格をえて帰国・開業したが、生来の内気のために成功しなかった。1893年に商社の顧問弁護士として南アフリカに渡ったが、上陸後まもなく白人の言語道断の人種差別を体験、これが決定的な人生の転機となった。以来22年間、同地にとどまり、真理と非暴力にもとづくサティヤーグラハをもって同胞の人権擁護のためにたたかった。1915年にインドに帰り、南アフリカでの貴重な体験を生かして、農民争議やエ場ストライキを有利に指導して注目された。1919年にローラット法に抗議して、インドにおける最初の大衆非協力運動を開始した。ガンディーの政治舞台への登場は、国民会議派を大衆政党へと脱皮させた。1922年にチャウリ・チャウラで発生した民衆の不祥事件を理由にこの運動を中止、自らも投獄されたが、彼にあってはあくまでも手段(非暴力)が目的に先行しなければならなかった。彼はまた、不可触賤民制の除去など建設的プログラムも政治的独立と同時に推進しようと努力した。1930年にガンディーの「塩の行進」をのろしとして、インドは国をあげて第二次非協力運動に突入。1942年には、「インド撤退要求」を合言葉に激しい対英抗争を展開した。けれどもガンディーの念願した「一つのインド」は実現せず、1947年インドとパキスタンは分離独立した。それにつづく熾烈なヒンドゥー=ムスリム紛争に心を痛め、単身、騒擾の村々を訪ねて愛と協調を説いた。1948年、狂信的なヒンドゥー教徒の凶弾によって79年間の「聖劇」ともいうべき生涯の幕をとじた。


 

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