みすず書房

イサム・ノグチ

Isamu Noguchi

1904年、ロサンジェルスに生まれる。父は日本の詩人・野口米次郎、母はアメリカの作家レオニー・ギルモア。1907年、母とともに来日、幼少期を日本で送る。1917年、単身渡米、高校卒業後はニューヨークにてコロンビア大学医学部に籍を置きながらレオナルド・ダヴィンチ美術学校夜間コースに通う。1927年、パリに留学してコンスタンティン・ブランクーシに弟子入り。1929年、ニューヨークに戻り彫刻家としての道を歩みはじめる。以来、粘土、石、木材、金属など種々の素材による彫刻作品にくわえ、庭園・公園、パブリックアート、遊具、舞台装置を制作。またノグチ・テーブル(ハーマン・ミラー社1947)、ロッキングスツール(ノール社1954)をはじめインテリアデザインも多数手がけ、1952年よりオゼキで製造を始めた照明《あかり》シリーズは200種以上におよぶ。1969年、香川県高松市牟礼に住居と作業場(現イサム・ノグチ庭園美術館)を構え、日本での終生の拠点とする。1985年、ニューヨーク、ロングアイランド・シティのイサム・ノグチ庭園美術館開館。1988年没。作品にAP通信社ビル《ニュース》(1940)、ユネスコ本部庭園(1958)、チェース・マンハッタン銀行プラザ・サンクンガーデン(1964)、ビリー・ローズ彫刻庭園(1965)、マリン・ミッドランド銀行プラザ《赤い立方体》(1968)、シアトル美術館《黒い太陽》(1969)、ストーム・キング・アートセンター《桃太郎》(1978)、《カリフォルニア・シナリオ》(1982)、ベイフロント・パーク《チャレンジャー・メモリアル》(1988)、日本での作品にリーダーズダイジェスト東京支社庭園(1951)、慶應義塾大学「新萬來舎」庭園・談話室(1952)、広島平和大橋・西平和大橋欄干《つくる》《ゆく》(1952)、大阪万博「夢の池」噴水群(1970)、イサム・ノグチ庭園美術館《エナジー・ヴォイド》(1972)、草月会館ロビー《天国》(1977)、土門拳記念館庭園(1983)、モエレ沼公園(2004)などがある。