みすず書房

大隈重信

おおくま・しげのぶ

1838(天保9)年2月佐賀藩士の家に生まれる。旧名八太郎。藩校弘道館、蘭学寮に学び、長崎に出てフルベッキより英学を学ぶ。1868(慶応4)年3月新政府の徴士参与職、外国事務局判事に任じられ、同年12月外国官副知事に昇進。翌年3月会計官副知事、7月大蔵大輔、民部大輔、70(明治3)年9月参議に就任。73(明治6)年5月大蔵省事務総裁、10月大蔵卿(〜80年2月)を兼ね、財政を主導した。81(明治14)年立憲制の早期導入を主張して伊藤博文らと対立、10月参議を罷免された。翌年4月立憲改進党、10月東京専門学校(現早稲田大学)を創立。87(明治20)年5月伯爵。88(明治21)年2月第一次伊藤内閣の外務大臣として入閣、黒田内閣にも留任して条約改正に尽力したが、翌年10月爆弾を投じられ負傷、辞任した。96(明治29)年9月進歩党を背景に第二次松方内閣に外務大臣として入閣、翌年3月より農商務大臣を兼任。98(明治31)年6月憲政党を与党として日本最初の政党内閣、第一次大隈内閣(外務大臣兼任)を組織した。1907(明治40)年4月早稲田大学総長に就任。大日本文明協会の設立や雑誌『新日本』の創刊など、国民文化の向上につとめた。14(大正3)年4月第二次大隈内閣を組織し、16(大正5)年10月まで務めた。同年7月侯爵。22(大正11)年1月死去、葬儀は国民葬にて行われた。主要編著書に『開国五十年史』、『東西文明之調和』。回顧録に『大隈伯昔日譚』、『大隈侯昔日譚』があるほか、歿後まとめられた伝記として『大隈侯八十五年史』がある。