みすず書房

周仏海

Zhou Fohai

1897年、福建省に生まれる。1917年7月に日本に留学。1919年に第七高等学校に入学。卒業後、京都帝国大学経済学部に入学。京大在学中の1921年、中国共産党創立大会に留日代表として参加するが、1924年5月に離党、国民党に加入する。1927年1月、武漢中央軍事政治学校秘書長兼政治部主任に就任するが、同年5月に蒋介石が南京に新設した中央軍事政治学校政治主任となる。1929年、国民政府訓練総監部訓練処処長となり32年には国民党の特務組織藍衣社の設立に参画する。その後、江蘇省政府委員兼教育庁庁長、国民党第5期中央執行委員会委員、中央党部民衆訓練部部長等の要職に就き、さらに蒋介石侍従室第二処副主任となる。1938年、国民党中央宣伝部副部長に就任するが、同年末、汪精衛に追随して重慶を脱出。日本支配下の南京「国民政府」結成に参画し、同政府行政院副院長、財政部部長、中央儲備銀行総裁、軍事委員会副委員長、警政部部長、上海市市長など汪政権の要職を担当する。当時、日本側との積極的「交流」を行なう一方、重慶側とも密かに接触し、日本敗戦時には蒋介石より国民党軍事委員会上海行動総指揮部総指揮に任ぜられる。しかし軍統局の責任者戴笠が飛行機事故死したことにより後楯を失い、南京の獄中にて1948年4月、病死する。