みすず書房

中江兆民集 東雲新聞

明治大正言論資料 10

明治21-23年

判型 菊判
定価 10,780円 (本体:9,800円)
ISBN 978-4-622-00940-5
Cコード C3331
発行日 1984年2月1日
備考 現在品切
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中江兆民集 東雲新聞

兆民のジャーナリストとしての活動が質量ともに最高潮に達したのは「東雲新聞」の時代である。国会開設を目前にひかえて、彼がその署名・無署名・匿名・偽名あわせて213篇の文章は、燃えるような熱情と意気と思索の結晶を含んでいる。生起する現象にたいして、議論と政理をつくし、自由の真理、公私の大権のためにたたかう。哲学もて政治を打破し、道徳でも法律を圧倒し、良心もて俗物世界を払拭しようという載筆への彼の信念の、アクチュエルな成果である。メタファーとレトリックの最高に発揮された文体はまことに個性的である。
徳富蘇峰は書いている。
「君の文彩の最も光茫を放ちたるは、保安条例退去後、大阪に於ける『東雲新聞』主筆の当時を以て、その絶頂となす。一腔の肚皮、満脳の熱血、筆端に迸り来りて、奇突横峭の文を作す。議論とも附かず、独語とも附かず、真面目とも附かず、謔言とも附かず、その性質の錯雑にして、分明を欠くところ、却って兆民居士の天真、活躍し来たるを覚ゆ」(国民新聞、明治28.12.14)
幸徳秋水は、兆民の文章についてつぎのように書いた。
「(兆民)先生、岡松(甕谷)先生の文を評して曰く『その材を取る極めて宏博にして、即ち三代蓁漢より下明清に及び、旁ら稗官野史、方伎の書に至る迄、時に応じ意に任せ、駆使して遺さず、而して其紙に著はるゝ所、所謂字々軒昻して、しかも且つ妥帖を失はず』と、この語直ちに移して以て夫子の文を評すべし。先生の学和漢洋を該ね、諸子百家窺はざるなく、手に任せて駆使するの所、人をして驚嘆せしむるものあり。
而して先生の文、独りその字々軒昻せるのみならず、飄逸奇突、常に一種の異彩を放って、尋常に異なるもの、予はその多く仏典語録の類に得る所ありしを信ず。……
先生の翰を運らすや飛ぶが如く、多く改竄する所なし。その新聞雑誌に掲ぐる者の如きは、一気呵成かつて一回の複誦するなく、筆を投じて直ちに植字工の手に付せり。これ決してその文に忠実ならざるがために非ず。またその苦辛を経ざるが為にも非ずして、ただその筆の健なるが為めに然るのみ。故に咄嗟の作といえども、かつて文字の妥帖を失せるなし。……」と。(「兆民先生」明治35.5.28)
また明治のジャーナリスト、川崎紫山は文章家としての兆民を“老蒼にして勁抜”と形容している。(信濃毎日新聞、明治38.4.17)