みすず書房

人間の永遠のテーマである〈死〉を主題として奏でるポリフォニックな思索世界。三つのモチーフ〈死のこちら側の死〉〈死の瞬間における死〉〈死のむこう側の死〉の展開によって、完璧に、精妙に演じられる一大交響曲といえよう。

〈昨日『死』を読み始めた。一挙に私は、密度が高く胸の高鳴る文章に熱中し、魅了された。ソルボンヌ大学で彼の講義をしばしば聴講し、私の内的苦悩に照応する稀な哲学者の一人だという印象を得た。この本もそれを証拠立てている。私の心を打つのは、人間的経験のさまざまな秩序だ。この差異が内的に深く「人格」の差異と結びついている。この間題は、日本語文法の人称の問題を取扱う必要のあった時、私の心を占めていたことだ。「実存」の問題がはじめから記述の中心に位置している。「経験」の単独性は、死の事実によって否み難く実証される。それは経験の最も鋭い特徴ではないか。愛と死の近似性に私は強い関心をもっている。それがどうあろうと、それを深める前に先ず、この驚くべき書物を読まねばならぬ。読書がそれ程までに私を熱中させることはめったにない〉。
(森有正『砂漠に向かって』より)

目次

死の神秘と死の現象
1 越経験な悲劇と自然な必然性/2 真に受けること——実効性、即効性、身をもっての関与/3 第三人称、第二人称、第一人称態の死

第1部 死のこちら側の死
第一章 生きている間の死
1 死の省察/2 深みおよび未来として死/3 婉曲叙法と否定的転倒/4 非存在と非意味/5 なにも言えないための沈黙と筆舌に尽せないための沈黙
第二章 器官‐障碍
1 短き一生/2 “がゆえに”と“とはいうものの”——有限性、肉体性、時間性/3 ありえない‐必然的なことの悲劇性/4 選択/5 局限の遡及効能
第三章 半開
1 神秘の事実性/2 死は確実、その時も確実ただし未知/3 死は確実、その時も確実/4 死は不確実、その時も不確実/5 死は確実、その時は不確実/6 事実性を前にしたあきらめ——死、苦痛、空間、時間/7 認識不可能なもの、できないもの、癒しえないもの/8 終焉と始源
第四章 老化
1 存在への到来と衰退による裏切り/2 死に対する準備。もし生が連続する死であるなら……/3 漸進的消耗。死刑囚/4 二つの観点——生きた分は生きた、生きた分は生きるべく残されている

第2部 死の瞬間における死
ことばで語りえない瞬間に対するはじらい
第一章 死の瞬間は諸範疇の外にある
1 死の瞬間は畳の上の最高ではない/2 死の瞬間は質の変化ではない/3 死の瞬間は時間上の変異ではない/4 死の瞬間はあらゆる位置づけを拒む/5 死の瞬間は関係をもたない
第二章 死の刹那のほとんど無
1 『パイドン』における死。死というしきいはごまかされている/2 小さな死の累積としての死/3 死という出来事は無ではなく、ほとんど無だ/4 人は死ぬことを習わない/5 漸進的唐突さ
第三章 逆行できないもの
1 空間での往復は、時間では帰りのない往きだ/2 若返る? 生き返る? 老化を停止する?/3 逆行できないものの終局の客観性/4 相対的不可逆性/5 連続の流れにおける最初で最後の回/6 相対的始源‐終局性(ただ一回)——第二回目と最後の前の回/7 死の最初で最後なこと——消えつつある出現/8 まったく最終の回——もはや永遠になにもない/9 訣別。そして短い出会いについて
第四章 取り消しえないこと
1 “あった”の不可逆性、“なしたという事実”が取り消しえないこと——《なされた》と《なした》/2 死の取り戻しも取り消しも不可能なこと。罠と安全弁/3 生まれかわり、蘇生、再生/4 虚無をもたらすものとしての無/5 最後の瞬間の消えてゆくことづて/6 最終回はなんらの秘密も隠していない/7 一つのまったく別の秩序

第3部 死のむこう側の死
第一章 終末論流の未来
1 彼岸は一つの未来だろうか/2 瞬間の苦闘と彼岸の恐怖/3 希望と絶望的願望
第二章 後生の不条理さ
1 不死性、復活、恒存する生/2 考える本質の永遠/3 二元論による魂の後生/4 恒存の法則に反して
第三章 虚無化の不条理さ
1 なんだか知らない他のもの/2 連続の当然さと停止の非道さ/3 死の思惟と思惟する存在の死。死すべき永遠の真理/4 外側と内側。包みこむ超意識と包みこまれた無邪気さ/5 死の勝利。全能の死/6 死は思惟よりも強い。思惟は死よりも強い/7 愛、自由、神は死よりも強い。そしてまた逆も真実だ/8 死すべき運命と不死性の曖昧さ/9 輪廻も汎生命主義も慰めをもたらさない
第四章 事実性は滅びることはない。取り消しえないものと逆行できないもの
1 死なないものは生きていない/2 存在した、生きた、愛した

訳者あとがき
復刊あとがき