みすず書房

——「抵抗への招待」、それはつねに他者からやって来る。誰もその発信者にはなれないがゆえに。誰もその宛先から排除されることはない。(あとがきより)

著者はジャン・ジュネ『恋する虜』の翻訳者、そしてジャック・デリダの翻訳者である。しかし、それにもまして、今日を生きる思考者である。四年半のパリ留学を終えて日本に戻ったのは1989年2月、昭和天皇裕仁の死とその葬儀の間の時期だった。以来8年間、パレスチナの映画作家ミシェル・クレイフィとの出会いと〈豊穣な記憶〉委員会の活動、湾岸戦争批判、ホロコーストの記憶映画『ショアー』の戦後50年日本における上映、〈国際作家議会〉への参加など、時々に著者の類い希な理路と熱意は人を動かしてきた。原則をゆるがせにせず、みずみずしい感覚で現代世界を論じる文章の全体を初めて集成する本書は1990年代クロニクルにもなっている。

目次

I
〈ユートピア〉としてのパレスチナ——ジャン・ジュネとアラブ世界の革命
「兄弟のごとく、時おなじくして、愛と死が……」
ジュネの”正しい”使用法
ビデオと貝殻
ジャン・ジュネ『エル』

II
アルジェリア、なぜ?
多角形の祖国——カテブ・ヤシーヌとアルジェリア文学の誕生
アラブ映画の新しい波
破壊された時を求めて——ミシェル・クレイフィ『石の賛美歌』のために
虹色の南アフリカのために
イラン・ハレヴィ『ユダヤ人の歴史』
エドワード・サイード『オリエンタリズム』
季刊『aala』創刊号

III
ハリネズミの前で
翻訳論の地平
「有限性の王たち」のために
世界の夜、あるいは、敵としての男・女・天使
スガ〔「糸」偏に「圭」〕秀実『「超」言葉狩り宣言』
ル・クレジオ『さまよえる星』
シャモワゾー/コンフィアン『クレオールとは何か』

IV
フランスとその亡霊たち——あるユマニストの回帰
ルナン『国民とは何か?』について
そして誰も来なくなった——ジュネーブ条約体制の危機とPKO時代の〈難民〉
善意で掃き清められた道
いま国連を考える
フランスの移民運動と文化——シャレフからクレイフィへ
未来の問いとしてのポスト・コロニアリズム
沖縄とポストコロニアリズム——命名と交渉のポリティックス
闇のように、身体のように、女たちの声のように
ジュリア・クリステヴァ『彼方をめざして』
小熊英二『単一民族神話の起源』
ベネディクト・アンダーソン『言葉と権力』
イ・ヨンスク『「国語」という思想』

V
戦争——内戦の黙示録と〈病い〉のレトリック
法の砂漠——カントと国際法の〈トポス〉
『シンドラーのリスト』の〈不快さ〉について
ホロコーストの歌
時効なき羞恥——戦争の記憶の精神分析にむけて
歴史の闇への旅——『ショアー』とフェルマン『声の回帰』
「第三の眼」を求めて——ラビン暗殺の思想的マグニチュード
市田良彦『闘争の思想』
花崎皋平『アイデンティティと共生の哲学』
フリードランダー編『アウシュヴィッツと表象の限界』
パウル・ツェラン『暗闇に包みこまれて』
野崎六助『物語の国境は越えられるか』

VI
デリダの「現在」
デリダの「世論」論
ストラスブールの誓い・1993
蜂起するエクリチュール——湾岸戦争から「国際作家議会」の設立まで
21世紀の〈同時代性〉を求めて——「国際作家議会」活動開始までの歩み
避難都市を今、ここに
ジャック・デリダ『メモワール』
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』
浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』
ブルデュー/ダルバル/シュナッパー『美術愛好』
港千尋『考える皮膚』
港千尋『明日、広場で』
エドワード・サイード『知識人の表象』

あとがき