みすず書房

マリー・キュリー 2

MARIE CURIE

判型 四六判
頁数 424頁
定価 5,830円 (本体:5,300円)
ISBN 978-4-622-03671-5
Cコード C1023
発行日 1999年11月25日
備考 現在品切
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マリー・キュリー 2

「わたしは……マリー・キュリーの物語のまわりにはりめぐらされた何層にもなる神話と理想化の幕をはぎとりたかった。……彼女が人間的であったと同時に英雄的であったことをあきらかにするものは、まさに彼女が陥った苦境を示す証拠と、彼女もまたもろい人間だったという証拠なのである」(まえがき)。

最愛の夫、最高の共同研究者だったピエールを失って悲しみに沈むマリーが、ある晩、突然若やいで現われる。かすかな春の気配のように。しかし、あとには厳しい試練が待ち受けていた。フランス科学アカデミーからの拒絶、さらに同僚の科学者ポール・ランジュヴァンとの恋愛スキャンダル。二度目のノーベル賞さえも、マリーの断固たる姿勢がなければ受賞は危うかった。それでも、マリーは不死鳥のように蘇る。

マリーの業績ほどには知られないその敗北と屈辱をとらえ、科学者としての偉大さが献身的努力によりも、放射能は元素固有の「原子的性質」であると確信した鋭い洞察にあることを示し、「マリー・キュリー神話」の創出を追いつつ感動的なラストシーンまで、クインの筆は一気に進められる。

目次

12 愛の錬金術
13 拒絶
14 スキャンダル
15 再起
16 フランスのために
17 アメリカ
18 たくさんの絆
19 遺産
訳者あとがき
原注
参考文献
索引

ラジウム研究所の日本人研究者・山田延男博士

『マリー・キュリー』2の686-687ページに登場する、帰国後まもなく放射線障害で夭折した「日本の化学者ノブ・ヤマダ」は、山田延男博士(1896-1927)です。山田博士は東京帝国大学教授で、1923年から25年までラジウム研究所に留学し、マリー・キュリーの指導を受けてポロニウム、ラジウム、トリウムなどから放出されるα線の飛程について研究。帰国後まもなく原因不明の病に倒れて31歳で逝去されます。ラジウム研究所初の日本からの留学生でした。