みすず書房

「1970年代からの小津安二郎の初期作品の発掘とそれに伴う再評価の動きの中で、浮上してきた主題の一つに〈蒲田モダニズム〉の問題がある。小津作品の〈モダン〉な性格への注目は、従来の小津イメージを一新するものであったが、それが小津のみに限定されて論じられる限り、〈小津におけるモダニズム〉に終始して、〈モダニズムにおける小津〉に発展しない憾みがあった。だが彼は決して孤立した密室に閉ざされた存在ではない。また彼だけがモダニズムに傾倒していたわけでもない。今日必要とされるのは、それを同時代の広がりの中に位置づけることではあるまいか」

「小津安二郎の映画が、彼の時代のいかなる感覚と精神の風土との関連で存在していたのかという問題は、なぜかこれまであまり考えられてこなかったように思われる。映画が存在した、あるいは存在させられた、歴史的な《場》を構想することの欠落が、欠落として意識されないとすれば、それは今後の大きな課題でなければならない」

内田吐夢の映画に先駆けラジオで『土』を演出した溝口健二、新進画家としてプロレタリア美術運動に身を投じた黒澤明、ライカ愛好家・小津安二郎に写真誌「光画」での作品発表を求めた木村伊兵衛、日本初のトーキー『マダムと女房』を書き上げた小山内薫門下は飛行機マニアの北村小松。さらに、近代スポーツの動きを“チャンバラ”に持ち込んだラグビー部出身マキノ兄弟&山中貞雄、時代劇のヒーロー『丹下左膳』のみならずモダニズムの文体を創造した谷譲次=長谷川海太郎、ヤクザ映画さながら血飛沫にまみれた生涯を送った大都映画創立者・河合徳三郎……。
舞台となるのは、「スポーツとマルクスとシネマ」の1920-30年代。同時代のさまざまな芸術、思潮、メディアが交錯する場として、ひとりの映像作家の、そして日本映画の新たな相貌があざやかに浮かび上がります。緻密な資料収集力と軽快なフットワークを駆使して拾い集められた、魅力的な「映画史こぼれ話」もたっぷり満載の快著。

目次

I
北村小松から小津安二郎へ——物語・蒲田モダニズム

II
「言葉」の背景
兵士 小津安二郎
ライカという“近代”——小津安二郎と木村伊兵衛
小津が歩いたモダン東京
「サノパガン」谷譲次——“昭和モダン”の先行者
浅原六朗、または一九三〇年代という《場》

III
もうひとつの『土』
空白を埋める新たな発見——内田吐夢『少年美談・清き心』

IV
プロレタリア美術運動と黒澤明
映画劇『大地は微笑む』顛末記
大正残侠伝——“映画史”になる前の河合徳三郎
おはつ地蔵由来
とざいとーざい『折鶴お千』
あるプロレタリア作家の映画説明者経験 予告篇
『夢声自伝』の「原東京」
第二の小津安二郎を探して

V
時代劇映画史論のための予備的考察 戦前篇
山中貞雄という現象

VI
日本映画の源流を旅する——京都映画史紀行
伊藤大輔発アイルランド経由森鴎外行き
葉桜の下の劇場めぐり——近代文学博物館「東京の劇場」展
酷暑の?東、向島を日和下駄す——東京都現代美術館「水辺のモダン」展
残響——厚田さんを偲んで

あとがき