みすず書房

中国の抗日戦のさなか、中学教師であった何其芳は革命の中心地、延安に向かった。彼は魯迅芸術学院の教師となり、共産党に入党した。この本の表題にとられた「声のないところは寂寛」という一節をふくむ詩『河』は、その地で、まだ若い詩人、何其芳によって書かれた。今も中国の人々は彼の詩を深く愛する。
彼を知る毛沢東は、「きみの特徴は柳のような柔軟さだ」と評する。その資質から生まれた詩は、歴史の現実の中で思いもかけぬ抒情性を帯びた響きをもつ。中華人民共和国成立の秋、彼は詩『われわれの最も偉大な祭日』を書いた。文学研究所長となった彼は以来、歌うことはない。なぜか、と尋ねられて、『回答』という詩を書いた。「一つの文字の火のような灼熱/ぼくの唇のあたりでそれは沈黙に変わる」熱い思いが詩になる時代も、沈黙と化す時代もある。文革の十年の内乱が終えた翌年、ようやく芸術の春が訪れると思った詩人は死んだ。
著者は、この詩人の一生を追って、北京での未亡人との出会いにはじまり、生れ故郷の四川省万県まで、中国を旅する。この紀行もまじえたユニークな伝記は、日本人には極めて馴染みの薄い中国の現代詩人を、一挙に親しい存在とさせてくれる。