本という不思議
判型 | 四六判 |
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頁数 | 272頁 |
定価 | 2,640円 (本体:2,400円) |
ISBN | 978-4-622-04672-1 |
Cコード | C0095 |
発行日 | 1999年2月17日 |
備考 | 現在品切 |
判型 | 四六判 |
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頁数 | 272頁 |
定価 | 2,640円 (本体:2,400円) |
ISBN | 978-4-622-04672-1 |
Cコード | C0095 |
発行日 | 1999年2月17日 |
備考 | 現在品切 |
今まで本という文化は、若いうちに本を読めというような掛け声とともに、ともすれば若い世代の「ための」文化のようにとらえられがちで、またそういうものとして疑われることがなかった。けれども、今日にしてやっと若い世代の本離れ、活字離れが社会的にひろく云々されるようになってきたというのは、むしろようやく本という文化が社会的に成熟の兆しをみせて、ともすれば若い文化としてしか考えられてこなかったような時代が終わりつつある結果というふうに考えるべきだ、と思うのです。
子どもの「ための」本という考え方が失効しているように、若い世代の「ための」本という考え方もすでに失効しているのではないか……いい年になったらちゃんと本を読み、若いときにちゃんとジョギングをしたほうがずっといい、と思う。
いい年になったらというのは、一人に返される年齢になったら、ということです。じぶんというものが一人に返されてはじめて、ほんとうに本への欲求というものがじぶんのなかに切実な思いとしてでてくると思える。本を読むというのは、言葉に対してじぶんから一対一の関係を結ぶことなのですから、本と付きあうとは、すなわち一人のじぶんの姿勢、ありようをいま、ここにみずから質す機会をもつということです。
(「なぜ本なのか」)
ル=グウィンやランダル・ジャレルの世界から『悪魔の辞典』へ、アパラチアのアリーおばさんからジョージ・オーウェルの人生へ。本と読書と人をめぐる詩人による極上のエッセーを集成。
本の本と本の話
1 極上の時間
2 本屋という場所
3 世界一馬鹿げた職業
4 ものを書かない人
5 本を燃やす恋
6 一生の読書の量
7 蔵書の楽しみ
8 本という鏡
9 本は循環する
10 自筆の楽譜
11 時代は変わっても
12 後世から見れば
13 詩の中の本
ソクラテス以前の言葉
いつ、どこで、誰が、どのように
言葉の贈りもの
1 戦争の贈りもの
2 一人から一人へ
3 詩人の贈りもの
詩は友人を数える方法
ル=グウィンの三つの詩
ランダル・ジャレル紹介
1 眠りの森のフクロウ
2 森の中で書かれた本
3 ショウガパンの秘密
物語は伝説と日常をつなぐ
なぜ本なのか
子どもの本の秘密
アパラチア・ストーリー
1 アリーおばさん
2 平凡な人生?
3 三つの言葉
もう一つのアメリカ
悪魔の辞典をめぐる20章
オーウェルという人は
本は読む人を語る
あとがき
人名・書名索引