みすず書房

救助や救援の鍵を握っていた人物の内面では何が起きていたのか。それを解き明かして言葉を与え、教訓を探ることは、今後の大災害に備える道につながるだろう。それぞれの人物を訪れ、思い切って心の扉をノックしてみた。出会った人々は兵庫県の元幹部や自衛隊指揮官から、市井に生きてきた人まで、さまざまだった。

震災で何が起き、何が体験されたのか。この物語は、震災のいまだ語られざる空白部分について、その一部でも言葉に残そうと試みた記録である。

「取材してみて私なりに強く感じたことを三つだけ挙げておく。第一に、震災とは渦中にいたほとんど全ての人間にとって、想像力が極めて発揮しにくい事態だったということである。……第二に、日本の1990年代に限っては災害心理が総体として社会を防衛する方向に働いたという事実。……そして第三に、その社会防衛の偉業はほとんどが無名の市民によって成しとげられたという事実である……」。

本書では過去を振り返る形で震災を検証したが、震災の長い過程は終わっていない。今後も問われるべきことは《震災とは何か》という現在なのだろう。

目次

序章 言葉にならなかった震災
第1章 運命の四時間半
第2章 被災地一番乗り
第3章 リーダー誕生
第4章 神話の深層
終わりにかえて
参考文献

著者からひとこと

その日は、時おり氷雨が舞う荒れ模様の天気でした。人影もまばらな公園を訪れると、小学校低学年の男の子が、弟分らしい幼児を引き連れて、タイヤころがしに駆け回っていました。

「ああ、そうか。この子どもたちは震災のことは何も知らないのだな」と、あたり前のことに気づき、写真に撮って、あとで拙著の表紙としました。私の中で何かが少し解除されたような、そんな時でした。

神戸市長田区本庄町にある大国公園。この小さな公園は七年前、住民が震災の大火に自力で立ち向かい、自力で避難をなしとげた場所です。私は毎年のようにそこを訪れては、ベンチに憩う人々が何を体験したのか、考えました。

被災地の外にいた私が、中井久夫先生のご教示などに触発されて、震災の内面を一部でも文字に残したいと取材をはじめました。

結果的には、震災が起きて七年余りで上梓となりました。その間、震災を文字にすることへの、躊躇やこだわりがやはりあったのでしょう。

たとえば、拙著では「犠牲者」という用語を極力使っておりません。何に対する犠牲なのか、最後まで分からなかったからです。

そうした、躊躇やこだわりが、被災地の外にいた私の場合は、七年の間にある程度解除されたのかもしれません。

しかし、膨大な数の被災者や救援者の中では、今も震災は続いています。拙著にも記しましたが、これからも問われるべきは震災の現在なのでしょう。(2002年4月 藤本幸也)