みすず書房

バルトーク晩年の悲劇

THE NAKED FACE OF GENIUS

判型 四六判 タテ188mm×ヨコ128mm
頁数 384頁
定価 3,630円 (本体:3,300円)
ISBN 978-4-622-04934-0
Cコード C0322
発行日 2000年1月25日
備考 現在品切
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バルトーク晩年の悲劇

この本の発見は私にとって何という感動的な、心に触れて消え去らない経験であったことか!
……ユーディ・メニューイン

ナチ占領下の祖国に止まることを拒否して、ベラ・バルトークは祖国ハンガリーを去り、1940年アメリカに亡命した。著者がブダペストの音楽アカデミーの学生であった頃、バルトーク教授はそこですでに伝説的な偶像であった。著者は20年代の末からニューヨークに住み、ここで亡命したバルトーク夫妻を歓迎し保護し助力することとなる。バルトークは異郷アメリカで5年後に歿するが、本書はこの期間の天才をえがくヴィヴィドで感動的な物語である。
バルトークなみの感受能力と感情の深みから書かれたこの書物は、作曲家の背景と卓抜な性格のみならず、創造過程の性質と日常世界との絶え間のない格闘にまで及んでいる。バルトークにとって、たとえば、「ハンガリーの納屋のワラ一本」への一寸した言及が彼の心のうちに呼び覚ます思いは、“一つのよい薫り——それは音に成ろうとしているのだ”ということであって、この激情が感覚の統合力を伴っている点にバルトークの特質がある。ホームシック、ニューヨークでの悲惨、自分自身の緊張した、自己集中的な、複雑な性格の被害者が実に彼だったのである。それらは貧乏や軽視や誤解などでさらに悪化していった。
著者の描写の劇的な力、深い感情、本質への的確な感覚によって、これは真の文学のもつ普遍性と強さに限りもなく近接しているといえよう。

目次

I ヴァーモントの私の別荘には、玄関脇の物入れの奥に、大仰に曲ったにぎりつきで節だらけの杖と
II 1940年10月も末の夕べ、ニューヨークのあるアパートのドアの前で
III 馬でもなくインディアンの頭でもない——これと名状しがたい——が、あらゆるものが一体となって
IV 「簡単なつくりの広い場所」を見つけるのがそう簡単なことでないことがわかったのは、私たちが
V その冬も終わる頃、それがバルトーク夫妻の条件を充たすかどうかなどは
VI 難破船の漂流物を漁るように、ディッタと私は競売を待つ不用になった家庭用品の、果てしない
VII バルトーク夫妻が新しいアパートへ移り住んでから数週間は
VIII 夜明けは寒かった。濃い霧雨が灰色の空気の中に降り
IX 数日後、私はバルトークの部屋に近い奥行の深い物入れの奥にルルがいるのを見つけた。
X 青白く憔悴して、バルトークは家の中を徘徊しつづけた。昼食前のこともあり
XI ある日昼食の最中、バルトークに促されて外を見ると、家の上の細い道を下ってくる
XII ある昼下り、バルトークは古風なニッカーポッカーに身をかため
XIII 自家発電機は、バルトークの気分によって、穏やかなときもどうしようもないときも
XIV 客たちが発ってしまっても、バルトークは以前でき上がっていたお定まりの
XV もう一つのバルトークの顔。今、今わたしの心に思い浮かべている顔は
XVI タクシーに荷物を満載してリヴァデイルの家についたときには
XVII 疲弊と苦痛のうちに死に瀕している世界、という重いイメージに捉われ
XVIII その頃、バルトークの加減が悪くなっているという兆しは
XIX この彷徨から数日と経たないある夜
XX 突如として再び冷たく暗い冬になった。
XXI それぞれの暗い影でお互いを深め合う二つの主題のように、バルトークの病気と
XXII あらゆる事態が、いまにも終焉に到って当然のようであった。夫妻の生命のバランスを保つ糸は
XXIII 秋も深まった頃であった。バルトークとディッタは
XXIV バルトークが定期的に陥る沈滞状態から立ち戻ってくるときは
XXV 「無伴奏ヴァイオリンソナタ」の初演が1944年11月末にカーネギーホールで
XXVI 長い冬のあいだ、私はバルトークがくすんだ灰色の中に溶けこんで
XXVII また夏がきた。しかし、広く陽光に満ちたカリフォルニアの

訳者あとがき