みすず書房

1789年に制定されたフランスの「人および市民の権利宣言」(「人権宣言」)は、フランス革命の生み出したもっとも重要な成果の一つである。自由と平等、所有、圧制への抵抗をかかげる人権宣言は以後、全世界に大きな影響を与えることになる。ドイツの著名な法学者イェリネックは19世紀の末『人権宣言論』で、この宣言成立の起源を探り、人権という理念を現実の法律に転化する、諸々の歴史の中の力をたどってみせた。これに対しフランスの法学者ブトミーが反論し、論争へと発展した。

ヴァージニアを始めとする北アメリカ諸州の権利章典がフランス人権宣言の模範である。ルソーの『社会契約論』はフランス人権宣言の淵源ではない。自然法論はそれだけでは人権を法律的に宣明するという結果をもたらさない。人権を法律によって確定しようとする観念の淵源は信教の自由のための闘争にある。——これらの論点をめぐって展開する論争は、クリーレの論評とともに、人権の歴史を理解するのに最良の文献といえる。カッシーラー「共和主義憲法の理念」を付す。

[1995年初版発行]

目次

I 人権宣言論……ゲオルク・イェリネック(ヴァルタ−・イェリネック補訂)
 訳者まえがき
 第1版への序文……ゲオルク・イェリネック
 第2版への序文……ゲオルク・イェリネック
 第3版への序文……ヴァルタ−・イェリネック
 第4版への序文……ヴァルタ−・イェリネック
第1章 1789年8月26日のフランスの《権利宣言》とその意義
第2章 ルソーの『社会契約論』はこの《宣言》の淵源ではないということ
第3章 《宣言》の模範は北アメリカ諸州の《権利章典》にあるということ
第4章 ヴァージニアおよびその他の北アメリカ諸州の《宣言》
第5章 フランスの《宣言》とアメリカの《宣言》との比較
第6章 アメリカの《権利宣言》とイギリスの《権利宣言》の対照性
第7章 普遍的な人権を法律によって確定せんとする観念の淵源はアメリカのイギリス人植民地における信教の自由であるということ
第8章 自然法論だけでは人および市民の権利の体系は産み出されなかったということ
第9章 人および市民の権利の体系はアメリカ革命中につくり出されたのだということ
第10章 人権とゲルマン的法観念
II 人権宣言とイェリネック氏……エミール・ブトミー
III 人権宣言論再論——ブトミー氏への回答……ゲオルク・イェリネック
IV 付録 I わが国におけるイェリネック=ブトミー論争の紹介……初宿正典
  付録 II マルティン・クリーレの人権宣言史論——イェリネック=ブトミー論争を手掛りとして……初宿正典
V 補論 共和主義憲法の理念……エルンスト・カッシーラー

あとがき
人名索引