みすず書房

「願わくはわれ太平洋の橋とならん」——新渡戸稲造の有名なことばである。そしてこれは、彼の終生をつらぬいた念願であり、彼の生涯はこれの実行に捧げられた。外にあっては、国際連盟事務次長、国際知的協力委月会の中心として東西の融和に努め、内にあっては、キリスト教の精神による日本国民の教育に尽すなど、その世界的活動と精神の高みのゆえに、彼こそはまこと偉大な国際人、自由人、真のキリスト教者と呼ばれるにふさわしい。 
本書には、新渡戸稲造の真摯な一生が、生き生きとよみがえる。かつて教えを受けた著者による、師への敬慕と深い感銘、長年の研鑚から、これは成った。

「先生は言葉でなにか教えるということより、存在すること自体を大切になさった方でしょうね。どのようにあるべきか、というようなこと。言葉であらわせないことを、そのご一生であらわそうとなさったような気がしてならないのです」(神谷美恵子)

「新渡戸先生の正伝とでもいうべき本が、松隈俊子女史によって書かれた」(南原繁)

「心あたたまる新鮮な評伝」(東京新聞)

[1969年初版発行]

目次


1 幼年時代
祖父傳翁のこと/父十次郎のこと/稲之助(稲造)誕生/母せきのこと/西洋のパン種/四ヵ国連合艦隊砲撃の影響/袴着の式/佩刀禁止令/父の死と母の教育/太田時敏の養子となる——上京
2 東京修業時代
就学/祖父の死/共慣義塾入学/向上心の芽ばえ/共慣義塾の生活/東京外語学校入学/東京外語学校の生活/職業の選択/札幌農学校開校/立行社結成/明治初期の社会状勢/札幌農学校入学以前
3 札幌農学校より渡米まで
農学校の創立/クラーク博士招聘/クラーク博士の教育方針/「イエスを信ずる者の契約」/札幌農学校入学/キリスト教への関心/入信受洗/学生の愉しみ/学業成績/青年期の動揺/明治12年(8月‐12月)の日記/初めての霊的体験/懐疑の兆と眼疾/信仰上の悩み/特殊な信仰傾向/眼疾より神経衰弱に/母の死/『サーター・リサータス』入手/札幌農学校卒業——開拓使庁任官/友人との共同生活/眼疾の再発と内村鑑三の友情/再任官——生振地方出張/東京大学入学決意/太平洋の橋/東京における学生生活/内村鑑三の結婚問題/東京大学への幻滅/洋行の動機/洋行の決意と周囲の協力/航海中の出来事
4 アメリカ留学時代
サンフランシスコ到着/大陸横断の旅/ミードビル到着/ジョンス・ホプキンス大学へ/ボルチモアの学生生活/宗教生活——クエーカーの集会に参加/フレンド派婦人伝道会の発会/女子教育についての意見/モリス邸の集会/ミス・エルキントンとの出会い/ドイツ留学の道展く
5 ドイツ留学
ボン大学の学生生活/ラヴェレー教授訪問/ベルリン大学へ移る/ハレ大学へ移る/長兄七郎の死——新渡戸姓に復す/結婚/帰朝/フレンド女学校を訪う
6 札幌農学校教授時代
赴任/官舎/札幌農学校における教育/札幌農学校苦難時代/学制改革の動議提出/北鳴学校のこと/遠友夜学校のこと/北海道庁技師として/文筆活動/家庭生活/長男遠益の誕生と死/病に倒る
7 療養生活の時代
療養生活の初期/『農業本論』出版/『武士道』出版/『武士道』の内容/『武士道』の反響/ヨーロッパ漫遊へ出発/安井てつ女史との出会い/ジャンヌ・ダークの遺跡を訪う
8 社会的活動の時代
台湾総督府技師となる/後藤新平伯との初会見/台湾における糖業政策/児玉伯と糖業意見書/台湾糖業の改良/京都大学教授となる/第一高等学校校長となる/一高の教育方針/校長不信任問題/日米交換教授として渡米/一高校長辞任/社会教育/東京女子大学学長となる/婦人の教育/宗教教育/校章の制定/世界情勢視察のため外遊/国際連盟事務次長に就任/国際連盟における活躍/ベルグソンとの出会い/ギルバート・マレーとの出会い/事務次長辞任——帰朝/貴族院における優諚問題/佐藤法亮尼との邂逅/渡米/「太平洋の橋」への努力/発病——死
9 結び
その根底をなすもの/良き地に落ちし種/その信仰の特徴/神人合一の境地

新渡戸家略譜
新渡戸稲造年譜
あとがき