みすず書房

書物は書物を生んだ社会の動きを反映している。あまりにも当然のことだが、しかし従来の書物研究は、説話、軍記物といったジャンルに分断されて、書物間の有機的な関係を十分捉えることができなかった。

中世の多くの書物は作者や成立年代がわかっていない。知られている場合にも、鵜呑みにすることはできない。この書物を著したのは誰か。ジャンルを超えて同時代の史料を渉猟し、関連しそうなものを読み合わせてみる。そこに歴史学の方法を駆使して、作者像に迫っていく。スリルに満ちた謎解きだけには終わらない。本書は、書物の帯びている世界、中世の知の体系・ネットワークを鮮やかに浮き彫りにする。卓抜な構想力で知られる著者の真骨頂というべきだろう。

大陸文化の受容として始まった日本の書物文化が独自の枠組みを整える院政期から、鎌倉時代後期の書物世界の再編、読者・観衆の誕生まで。『院政期社会の研究』以来、『平家物語、史と説話』『吾妻鏡の方法』『武士と文士の中世史』『明月記の史料学』等々の著書へ、そして多数の編著へと継続されてきた著者の年来の研究成果が、本書に惜しげもなく注ぎ込まれている。待望の書き下ろしであり、文学・歴史の領域に架橋する画期的《書物史》である。

目次

序 書物史の方法——『本朝書籍目録』を素材に

I 中世の書物世界の枠組み
未完の歴史書——『扶桑略記』と『今昔物語集』『栄花物語』
文士と諸道の世界——『朝野群載』を読み解く
言談の記録と場——『中外抄』『富家語』と『江談抄』
賢王の記憶——院政期の和歌と漢文学

II 書物の表と裏
奥書の書物史——年中行事書の展開
紙背に書物を探る——『中右記部類』と藤原忠親
家記の編集と利用——法書と検非違使の記録
作為の交談——守覚法親王の書物世界

III 王権と仏法の言説
今様と音芸の王権——『梁塵秘抄』の世界
歌僧と勧進——『宝物集』を探る
王権と説話——『古事談』『続古事談』『六代勝事記』
発心と遁世へのいざない——『発心集』・往生伝・『閑居友』に

IV 説話の文法
雑談の時代——『今物語』と『宇治拾遺物語』から
紀行文の形成——『海道記』『東関紀行』の歴史的位置
芸の伝承と家——楽書の展開
説話集と家——『十訓抄』から『古今著聞集』へ

V 書物世界の再編
書物世界の再構築——後嵯峨院政と書籍の展開
歴史書の時代相——『百練抄』と『五代帝王物語』
関東の記録と物語——『吾妻鏡』の形成
絵巻の説話学——『日吉山王絵巻』の周辺

終章 読者と観衆の誕生——『野守鏡』と絵巻

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角川源義賞受賞

本書は第26回角川源義賞〈歴史研究部門〉を受賞しました。

編集者からひとこと

これがほんとに書き下ろしなの? まわりからそんな声もあがった。実際ちょっと信じがたい。5部各4章のきれいな構成、厖大な書物が読みあわされ、その組み合わせもジャンルを超えて意表をついている。全体はゆるやかな時系列。院政期から鎌倉時代後期までを扱うのは、単に著者の専門「中世史」の枠に制約されてではないという。日本の書物文化は大陸文化の受容に始まるけれども、そこに独自の枠組みが形成されるのは院政期、読者・観衆の誕生をみるのは鎌倉後期、という壮大な見取り図が明らかにされるから。

そして、全編書き下ろし。完成稿として渡されたはずのものに新しい章が加わり、章立ても変わり、「あれこれ探っていくと、ああそうか、なんてことがいくつも出てきておもしろくてね。」さらに細かな手直しで、推定が仮説になっていく。学界を驚かせる新説もあるらしい。「手もとにあるとつい手を入れたくなってね。でも、もうやめておきましょう。」

にこやかにおっしゃる声と言い回しには独特のものがあって、「〜だから」というところがときどき「〜であれば」と古語になったりするのがまた、柔らかなお声によく似合っていると思う。古文の世界に深くなじむと、そんなふうにもなるのかしら。文学の香りに縁遠いこちらには計り知れないが、たとえ無粋な読み方でも『書物の中世史』は楽しい。たとえば直言が禍いして朝廷から疎まれた公卿の話。公卿が編んだ説話集には、王権批判に結びつくような物語ばかり。そこに王権への捨てきれない期待がにじんでいると著者は読む——が、いかにもこんな人物はいつの世にも生きて暮らしているだろう。はるか一千年をさかのぼる日本の中世が、一瞬リアルに感じられる。

そんな近視眼的な読み方をしていても、ところどころに書き込まれたスケールの大きな一節が、視界をさっと開いてくれる。書物と書物、書物と社会が、関係しあい、動き、なによりも人間の営みとして見えてくる。中央公論新社『日本の中世 7 中世文化の美と力』では概略だけ示されていた書物史の構想が、この本には存分に展開されている。思えば『院政期社会の研究』以来の、文学と歴史学にまたがる研究領域で積み重ねられてきた著者の仕事のすべてが、ここに流れ込んでいる。

書評情報

呉座勇一(日文研助教)
朝日新聞(土曜版Be)2017年11月25日(土)

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