みすず書房

「建築を新たにつくることは、近代に入ってテロリズムの色彩を強めている。なぜなら、それ以前の時代とくらべれば驚くほどの短時間に周辺環境を変え、人間関係を変えてしまうからだ」
「もはやかつてあったような共同体や『公的』な世界は消えつつある。しかし建築を通じ、建築を考え、建築がつくりだす環境を考えることによって、共同体と呼ぶこともない新たな多彩な声のつながりを生み出せるのではないだろうか」
阪神・淡路大震災、9・11テロ以後もなお、超高層ビルはより空高く新たに林立しつづける。「建築という未完の、断片的な、日常の、対話を覚醒させる地図」を、その描き手である「私たちとはだれか」をあらためて問いなおさなければならない。——「建築雑誌」好評連載「そして私たちは再び地図を描く」(2002年1月-2003年12月号)に大幅加筆。『乱歩と東京』(日本推理作家協会賞)『うわさの遠近法』(サントリー学芸賞)『群衆』(読売文学賞)の著者による縦横無尽の「建築=造家」原論。

目次

ちいさな緑のお家の中に、
ちいさな金色のお家がひとつ。

「だァれがころした、こまどりのおすを」
「そォれはわたしよ」すずめがこういった。

いきなりばんばら藪へとびこむと、
眼玉がポンポンひんむけた。

ふたりの間中を、ちょとごらん、
お皿はすべすべなめてある。

ねこがもうします。
「お天気はどうでしょうね」

ねてもねられずおおよわり、
頭の髪毛もめっちゃくちゃ。

大きな木をきり、
大きなその海にどしんとたおしたら、

おまけに、こっぴどくひっぱたき、
ねろちゅば、ねろちゅば、このちびら。

もそっとおわんがしっかりさえしてりゃ、
ここらでこの歌もきれやしまい。

一切空ちゅうおばあさんがどこかしらにござった。

むしゃむしゃ、がぶがぶ、ぐずりばば、
ぶつぶつぶつぶつまだやめぬ。

さあきた、手燭がお床へおまえをてらしにきた。
さあきた、首切り役人がおまえのそっ首ちょんぎりに。

石だけぽっつりのォこった。たったひとりのォこった。
ファ、ラ、ラ、ラ、ラルド。

それでも、どの面がいちばんおすきか、
やっぱり御本人でおいいやれぬ。

お釘がへれば、
蹄鉄うせる。

あとがき
引用一覧

著者からひとこと

『住み家殺人事件』を書き上げた後のことだが、7月20日に東京都心の気温は39.5度を記録した。その後も酷暑は続き、東京大阪いずれも真夏日日数の記録を塗り替えた。熱中症で倒れた人も多かった。

私の癖で『住み家殺人事件』も、詩やら小説やら哲学やらを引用し、韜晦めいた文章を綴った。しかしじつのところ超高層ビルと超高層マンションを乱立させる巨大再開発へ一点、怒りに駆られて書き上げたのだ。すでに超高層ビルが海風を遮り、ヒートアイランド現象を加速させることは指摘されていた。しかしより単純に考えても、超高層ビルは太陽に向かって林立する巨大な物体だから、日中は大量の太陽熱を蓄える。しかも内部にあるエレベーターなど大量の機械も作動し続ける限り、大量の熱を出し、室内は冷房しなければ耐えられない暑さとなる。つまり超高層ビル群は、夜間になっても大量の蓄熱と冷房の排気熱を放射し続けるから、このままでは毎年夏が来るたびに真夏日や熱帯夜の日数は記録を更新し続け、熱中症で倒れる方も多くなるはずである。

ではなぜ、気象さえ変えるような巨大開発が進むのか。本書のなかで明らかにしたように、巨大開発地区だけ容積率が緩和されたからである。周囲よりも特別に、その地区だけ倍ほどの床面積をもつビルやマンションをつくることが認められたからである。これは変ではないか。法の下では誰もが平等であるのが〈法の精神〉だ。

それを再開発なる大義によって、特別に法をねじ曲げるのは、時代劇の定番、悪代官と悪徳商人とがニヤリ笑って行う裏談合そのままである。いったん認められたら、他の地域も容積率を上げろと迫る。実際に銀座や丸の内など巨大開発計画はめじろ押しなのだ。東京は住む場所ではなくなるだろう。怒りはますます募り、絶望だけが深くなる。誰か声をあげてほしい。(2004年10月 松山巖)

書評情報

鷲田清一
朝日新聞「折々のことば」2016年1月22日