みすず書房

ジョイスにとってパリ時代は、前衛作家としての名声を享受した得意の時期であると同時に、多くの苦難を背負った〈火宅〉の日々でもあった。失明の危険を孕んだ自らの眼病に加えて、少しずつ悪化してゆく愛娘ルナアの精神の病(統合失調症)への不安、とりわけ『フィネガンズ・ウェイク』執筆の辛苦が、彼の心身を苛んだ。この苦難を乗り越えて、ジョイスが稀有の文学創造を完遂できたのは、数人の並外れた女性たちが陰で彼の仕事を支えたからである。「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」のシルヴィア・ビーチや「トランジション」誌のマライア・ジョラスをはじめとする女性陣の助力がなければ、現代文学の極北ともいうべき諸作品は陽の目を見なかったであろう。また、バレエをあきらめ、ベケットとの恋に挫折しつつ、装飾大文字の創作に励むルチアの存在は、その病とともに、『フィネガンズ・ウェイク』のテ一マと深く関わっていただろう。本書は、主に二つの側面から、パリ時代のジョイスの創造生活を照射する。一つは、裏方に徹してさまざまな支援を行なった女性陣の鮮やかな肖像である。二つ目は、その精神の闇において父親の創造に深く関わったルチアの詳細な病跡である。ジョイスのパリ時代への貴重な展望であり、『フィネガンズ・ウェイク』理解への重要な寄与。

目次

第一部 パリのミューズたち
1 ジョイスのパリ
2 シルヴィア・ビーチ
3 マライア・ジョラス
4 カレス・クロスビー
5 ケイ・ボイル
第二部 ルチア・ジョイス
1 誕生・生い立ち
2 芸術家志願
3 ベケット
4 病気の進行
5 現代芸術と統合失調症
6 『フィネガンズ・ウェイク』
7 装飾大文字
8 昏冥の彷徨


参考文献
あとがき