みすず書房

〈本書の課題をひとことで言うならば、ウェーバーを近代(モデルネ)の理論家としてではなく、緊張や対立を内包する秩序としての西洋(ヨーロッパ)の特殊性と普遍性に注目した政治理論家として読み直すことである〉

2001年9月11日からイラク戦争へと至る時期、著者はドイツの地で本書を執筆していた。冷戦構造の解体とともに噴出した文化・宗教のリバイバルや、それにともなう「近代の複数性」が議論され、さらに闘争への注目と併行して起こったカール・シュミット再評価の状況のもと、一体どのような政治理論が問われているのであろうか。著者は「闘争(Kampf)」と「文化(Kultur)」という視点から、マックス・ウェーバーの著作が従来受容されてきた近代化論のパラダイムと批判的に対決し、また同時にハンチントン的な文化(文明)の闘争理論をも批判する形で、ウェーバーの政治理論のアクチュアリティを示そうとする。それは、時代の子として状況に身をおきながらも状況の意味を理解し、そこからの方途を探ろうとする自身の試みでもあった。

『職業としての政治』、方法論文から宗教社会学論集、音楽社会学、書簡まで、19-20世紀を生きた社会科学者の膨大な著述群に分け入り、現代の課題を綿密に再構成した、気鋭のデビュー作。

目次

凡例

第I章 序論

第II章 方法論から文化社会学へ——マックス・ウェーバー政治理論の基礎
第一節 マックス・ウェーバーの方法論の遠近法主義的な性格
現実科学、冷静さ、そして「知的誠実」はウェーバーの権力政治の基礎なのか?/リアリズムではなく遠近法主義
第二節 ウェーバー批判の焦点としての遠近法的非合理性
第三節 文化社会学へ
「決断主義的」解釈枠組みの疑わしい前提/遠近法主義の両面——価値の主観主義的非合 理性と客観性の契機/合理性の固有法則性/秩序の合理性を求めて

第III章 権力政治と西洋近代
第一節 マキアヴェリとウェーバー
第二節 権力政治と分化
分化としての近代/カウティリヤ問題
第三節 比較文化社会学における秩序と政治
カウティリヤとインド的秩序/儒教的秩序/マキアヴェリと西洋的秩序
第四節 文化の類型学とウェーバーのパースペクティブ
文化の三類型/相対主義とインド的秩序/文化比較と自己認識
補論 ウェーバーのワグナー解釈

第IV章 比較文化社会学における自然法
第一節 ウェーバー・コントラ・自然法?
ウェーバー批判/ウェーバーにおける反自然法的な要素について/ウェーバーの自然法への関心
第二節 比較文化社会学における自然法
「西洋にのみ」固有の現象としての自然法/禁欲的プロテスタンティズムと西洋合理主義の連続性という解釈枠組みについて/ウェーバーの自然法への視座——宗教と政治の緊張関係/中国・インドにおける自然法観念の欠如/西洋から近代へ
第三節 カルヴィニズムにおける自然法観念の転換とその政治的意味
比較文化社会学の文脈における自然法理解とカルヴィニズムの自然法観念の齟齬/ピューリタニズムにおける二重性の破棄と近代政治原理/二重性の破棄とその負の帰結——「聖戦」
第四節 プロテスタンティズムと近代に対立する「西洋」

第V章 ゲオルク・ジンメルとマックス・ウェーバーにおける美と政治
第一節 マックス・ウェーバーの政治理論の美学化
信条倫理と責任倫理、あるいはモノ遠近法性とポリ遠近法性/政治の美学化?/西洋と美的政治
第二節 ウェーバーのジンメルに対するアンビヴァレントな態度
補論 ハーバーマス、ジンメル、ウェーバーにおけるボードレール解釈の違いについて
第三節 二つの「闘争の社会学」
第四節 ウェーバーの美学主義への距離と、責任倫理と信条倫理の同格対立

第VI章 マックス・ウェーバーのアビ・ヴァールブルクへの手紙
第一節 闘争と権力政治
第二節 アビ・ヴァールブルクの「フランシスコ・サセッティの終意処分」論文
第三節 マックス・ウェーバーの返答——「すばらしき微光」
第四節 悲劇の擁護

第VII章 「ウェーバーと全体主義」再考
第一節 ウェーバー論争と全体主義研究ルネサンス
第二節 モムゼン・パラダイム
価値概念の非合理性と価値としてのネイション/人民投票的指導者民主制の非合理性/非合理への対重(Gegengewicht)としての自然法/モムゼンにおける責任倫理の基礎づけ不可能性
第三節 フェーゲリンの視角
ウェーバーとフェーゲリン——実証主義と秩序学のはざまで/フェーゲリンの全体主義理解
第四節 フェーゲリンの視角から見たウェーバー、あるいはウェーバーの著作におけるグノーシスの問題
ウェーバーの闘争とグノーシス的闘争/ウェーバーの著作におけるグノーシス/反全体主義的政治理論としての多神論的合理性論

第VIII章 結論
第一節 テーゼ
第二節 ウェーバーの理論のアクチュアリティ


あとがき