みすず書房

「90年代以降、私的ドキュメンタリーが世界的に一大潮流を形づくっていることはいうまでもない。それは、プライベートな世界という手に触れることのできる確かな地点からしか映画づくりの拠点を見いだしにくくなっている時代思潮の如実な反映である。デジタルビデオという小さい割には強力な武器を手にしなければ、自己表現の表出の糸口を見つけ出しえなかった若者たちのヒリヒリとするような飢餓感は、私なりによくわかっているつもりである。しかし(…)たとえデジタルビデオを手にしたきっかけは、自己表出の絶好の機会としてであっても、それを作品として完成して第三者に見せるときは、映画としての戦略と戦術がどうしても必要になる。そして映画監督の作家性は、一本の作品を仕上げる過程において編集、録音、音楽といった他者と出会い切磋琢磨されることを通じて、みずからの独自な戦略を築き上げたときにはじめて確立される。それはあらゆる映画が直面する古くて新しい永遠の課題である」

集団製作以後今日にいたる潮流を批判的にとらえなおした日本ドキュメンタリー映画史論から、ワイズマン、ソクーロフ、アモス・ギタイ、ヴェンダースほか海外の映画作家論、さらに隣接領域との境界を見据えて新たな映像の可能性を探った『SELF ANDOTHERS』『阿賀の記憶』などの自作解説まで。作家の主体性を問いつつ、作り手の意図を超えた創造を促す佐藤真ならではの批評行為が炸裂する。

目次

I ドキュメンタリーのゆくえ
日本のドキュメンタリー映画のかたち
私的ドキュメンタリー私論
映画美学校ドキュメンタリーのある傾向について
オブザベーションシネマにおけるワイズマンの特異性について
ドキュメンタリー映画の地平

II フィクションとの境界から
日本の戦後を問いただす匕首  大島渚『忘れられた皇軍』
虚構に踏みとどまる矜持  ヴィム・ヴェンダース『ニックス・ムービー』
人は映画のなかで一回限りの生しか生きられない  アレクサンドル・ソクーロフ『マリア』
見えないものを見続ける意志  アモス・ギタイ論
私のドキュメンタリー・ベスト10

III 映画と写真のあいだで
牛腸茂雄の眼差しに潜むもの
動かない映画への密やかな欲望
映画『SELF AND OTHERS』について
『阿賀に生きる』から『阿賀の記憶』へ

IV 映画監督とはなにか
ある年の監督協会新人賞舞台裏から
真説・ロンドン研修報告
ドキュメンタリーの故郷・イギリスで考える

あとがき
初出一覧

書評情報

日本経済新聞
2007年1月14日(日)
阿部嘉昭(映画評論家)
東京新聞2007年1月14日(日)
石飛徳樹
キネマ旬報2007年1月下旬号
北小路隆志
STUDIO VOICE2007年2月号